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【掌編】緑に雨

霧雨が、すっぽりと白く街を包み込んでいる。かそけき雨音が耳にしのびこんできて、からだの奥底まできれいにぬぐわれてゆく気がした。濡れる新緑は、ひさかたの恵みに息を吹き返したようだ。

雨というのは、降り始めは鬱陶しく感じるが、いつしかその響きがからだに馴染む。梅雨という風情を、いつしか愉しんでいる自分がいる。降り込められた日は物憂いけれど、そのぶんさくさくと読みかけの本が進んだりするのは一興だ。

透明のビニル傘から見える雲はうっすらと明るい色をして、鳥たちは雨宿りをしているのか気配はない。傘からはみでたコットンブラウスの肩が、ゆっくりと湿っていくのを感じながら、気持ちはしぜん心の深みに降りていく。

会いたい、ひとがいる。晴れていた間は認められなかった思いが、心の表層に浮かび上がってくる。打ち消して、かき消して、否定して、それでもやはり、あのひとの顔が見たいと思った。銀の絹糸のような雨が、私のほんとうのこころを、あらわにする。

ほころびの出た心は、もうつくろえずに、感情がどんどん水源が決壊したようにあふれてきた。いとしいかなしいあいたいふれたい。転げ落ちるように、素直なこどもの自分に戻る。静謐な雨は、鼓膜をただ、音もなく破っていく。

風。吹きくる風が、傘をゆらして、顔さえ水滴に濡れそぼる。泣いていいかな。泣いてもわからないのではないかな。ぱたんと傘を閉じて、降られるがままに帰ることにした。市営バスも、自転車も、緑も、ツツジも、みんな雨の中。つつましく、みな一様に雨の下にいて。

【お知らせ】

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