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【短編】日曜日のピザ

要るもの、要らないもの、要るもの、要るもの、要らないもの。手元で手早く分けると、要るものは引っ越し用段ボールの中へ、要らないものは燃えるゴミと不燃物にさらに分け、ゴミ袋の中へと押しこんでいく。

二人でディズニーランドに行ったときにおそろいで買ったコップは「そっちで要るかどうか判断して、要らないなら処分して」と、卓郎が仕事をしているパソコン机の上に置いた。

彼はかたちのよい眉を細めて「うーん」と唸った。「俺に判断をゆだねるな」と口をへの字にしたので「さっきは写真ぜんぶ捨てたらショックだと言ってたでしょ」とそっけなく返す。

八年も一緒に暮らしていたのだ。不用品は都度捨てていたつもりだけど、二人が一緒にいた思い出というより痕跡に近いモノが、山のようにあった。

たとえ気に入っていたとしても、卓郎との年月を思い出させるものはいっそすべて捨てきってしまったほうが、次に行けるのかもしれない。そう心を決めて、一瞬新居に持っていくか迷った白いレース柄のブラウスを可燃ごみの袋に突っ込んだ。これは二人で初めて行った京都旅行のとき、着ていったものだった。

ヘアクリップ、サンダル、使いさしのネイル、化粧水に乳液、卓郎から誕生日にもらったテディベア――二人で住み始めてから手元に置き始めたものが、山のようにあり、いい加減うんざりしてくる。

陽が傾くころになり、ようやく箱詰め作業が終わった。ゴミ袋は可燃と不燃あわせて十五個にもなった。ほこりっぽくなった床に掃除機をかけ、フローリングシートで簡単に拭き掃除をすませた。

ここまで来て、ようやく胸のつかえがとれて、心が軽くなってきた。私、もうすぐこの部屋から出ていける。卓郎と暮らした日々にも、終止符が打てる。

同棲したばかりの頃は、お互いに気を遣い、相手のテリトリーをこわごわ大事にしていたことで、衝突は避けられていたが、二年、三年と長く一緒にいるうちに遠慮がなくなり、同居人への扱いがどちらもぞんざいになってきたように思う。よく八年も一緒にいたなと感慨深い。最後の一年、喧嘩をしていない日はなかった。

出て行くほうと、残されるほう、どちらがいいかと自分に問うて、その答えは「ぜったいに出て行くほうがいい」だった。新居を新たに探さねばならない面倒を差し引いても、色褪せて惰性しかない思い出に囲まれながらこの部屋に残るほうになるのは、堪え難かった。

私が片付けている間、パソコンに向かいっぱなしで仕事をしていた卓郎が、仕事椅子からおもむろに立ち上がった。彼は冷蔵庫の前に行くと貼ってあったチラシをはがし、私に寄ってくるとそれを差し出した。

「……宅配ピザでも、とるか」
「あのね。ピザは配達してもらうより、店頭に受け取りに行くほうが断然安いんだよ」

本当に、世間の相場を知らない男だと思う。こういうところから、たぶん嫌いになっていった。

「じゃあ、一緒に車で取りに行こう」
「――いいけど」

もう、卓郎に対しての気持ちなんて、どこにも残っていやしない。けれど、この部屋にいる最後の日に、相手の提案に従うことも「立つ鳥跡を濁さず」になるのだろうなと思ったので、チラシを受け取った。

「あ、私じゃあこっちのシーフードのやつがいい」
「俺はそしたら、こっちのチョリソーの辛いやつ」

サラダとポテトも選んで電話をかけて、そして三十分後、私は卓郎の車に乗って、明日にはもういなくなる街中を走っていた。青い夕暮れがゆっくりと外全体に下りてきていて、ぽつぽつ灯りはじめた街明かりに郷愁を感じた。

ハンドルを握りながら卓郎がぽつりと言う。

「明日、いつ来るの引っ越し業者」
「十時かな」
「そんなら、俺外出してるわ、その時間」

卓郎はフリーランスのエンジニアなので、自宅で仕事をしているのだった。「明日仕事ができなかったら、納期大丈夫なの」と聞くと「俺を誰だと思ってる」と返って来た。この期に及んで、互いを気遣っているのが可笑しくてバカバカしくてちょっとだけ哀しかった。

ピザ屋のなかには、私たち以外にも注文を取りに来ている客が多くいて、さすが日曜日だと思った。客たちのなかに、若いお父さんとお母さんと三人の子供、という家族連れがいて、小学校低学年と幼児らしい三人の子が、椅子から立ち上がったり座ったり、またレジ前をぐるぐる笑いながら回ったりしていて騒がしかった。

温かいピザの箱を家族連れより先に受け取った。会計は卓郎が済ませてくれた。二人分のピザ、二人分のポテト、二人分のサラダ。明日からはこれらが、お互い一人分にしかならない。

家に帰って、シーフードピザとチョリソーピザを交換して食べ、コーラを飲んでいると、卓郎が口を開こうとした。「口の端にピザソースついてる」と指摘してやると、手の甲でぬぐった。少し間をもたせてから、卓郎が喋りはじめた。

「小学生のとき、俺んちの実家の近くにピザ屋ができたんだ。すっげえ嬉しくて、ピザ食いたいって言いまくったら、父と母が『じゃあ日曜日は、毎週ピザの日な』って決めてくれて、日曜日ごとにピザが食べられた」

私はチーズのついたパン生地のかけらを噛み、飲み込む。

「ピザ、最初は旨いんだ。この世の食べものじゃないと思うくらいに。味が濃くて、ジャンキーで、お腹ぱんぱんになるほど食べて。でも、そのうちに、味に慣れてしまって、――最後は『なんだ、またピザか』って思うようになってた」

私は氷が解けて味の薄まったコーラをすする。

「――そんだけの話。今日、十年ぶりくらいにピザ食ったら、なんかそのこと思い出して」

話をまとめた卓郎の顔を見ないで、私は空になったピザの箱を片付け始めた。

「飽きない食べものって、世の中にあるのかね」

台所に向かいながらそうたずねると、卓郎は「どうだかな」と笑った。ちょっと皮肉っぽく口の端をゆがめる笑い方。彼と恋人同士になったときに、私が大好きだった笑い方をした。もちろん、過去形だけれど、もう最後だと思えば、その笑い方もなかなか悪くはなかった。

明日は月曜日、燃えるゴミの日だ。ピザの箱を、さっきつくったゴミ袋のひとつを開けて奥までぎゅっと押しこみ詰めた。

口のなかには、まだチーズの脂っぽさが残っている。手に着いたパン生地のかすを洗おうと、私は水道の蛇口を思いきりひねった。




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