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丸くおさまらない。

つくづく、丸とは無駄の多いものだなと思う。
空間にあれば、どこかに隙間ができる。
収まりの悪い、置けば転がる不安定さ。

毎日、四角い画面と睨めっこをして、その中にある、さらにちいさな四角の中を整える。
丸より四角。
無駄のない余白。

けれど、自分の手から生み出されるものはどれも、丸っこいものばかり。
机上にコロンと転がる、アンバランスさ。
誰かがつくった四角を整えること。
自分だけの丸さをつくること。
なんだか滑稽に思えてくる。

世界の中にどちらが多いかと問われれば、きっと四角だろう。
ざっと見渡しても、四角が暮らしを支えている。
転がるためのボールやタイヤなんかは丸。
けれど、だいたいは四角く形づくることで、うまくいく。

可笑しなものだ。
自然は丸くあろうとする。
開かれた瞳、花の花芯、木の年輪、雨粒、果実、こうして立っている惑星ですら丸い。

ではなぜ、人のつくるものはこんなにも不自然な四角ばかりなのだろう。
不自然なものばかりつくるから、不具合が生まれるのか。
妙な話になるけれど、どんなに四角いものだって、顕微鏡の先の、そのまた先まで進んでいけば、いずれちいさなちいさな丸っこいもが寄せ集まっているところに突き当たる。
要するに、世界は丸っこいものでできているのだ。

日々不自然なものに囲まれていれば、時に誤りが生まれるのも仕方がないのかもしれない。

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