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そこにだけある。

空は正直だ。
温度は変えずとも、きっかりと次の季節の姿になっていく。

美味しくないわけではないけれど、あまり出来のよくなかった夕食を食べ終えると、どっと疲れが上乗せされるようで、流しの鍋がいつもより重い。
美味しくないものを食べるから疲労が加速するのか、調子が悪いときにつくるから旨くないものが出来上がるのか。
ニワトリが先かタマゴが先か、それに似ている。
ともかく、不調と失敗料理の連鎖はそろそろ何か名前がついてもよさそうなものだけれど。

舌が駄目なら、耳を満たそう。
好きな歌手の声を聴きながらいつも、どこが好きなのだろうかと思う。
落ち着く声、太い声、あたたかい声、時々かすれる声、すこしくぐもった声。
彼ら、彼女らはそんな声の持ち主が多いような気がする。
それは誰かの声に似ているから好ましいのか、耳の中で毛糸玉がバウンドするような感覚が心地いいからなのか、定めきれない。

ただひとつ言えることは、声の力と言葉の力は別ものだということ。
甘い愛の言葉も、鼓舞するような強い言葉も、異国の知らぬ言葉も、声の力の前ではそれほど意味を為さない。
それは決して捻り出された言葉に価値がないということではなく。
たとえば、言葉は誰かが生み出したものを借りているに過ぎない。
声は発している彼らが生まれたときに生まれたもの。
ほかには存在しない。
そういう、「そこでしか育まれないもの」が与えてくれる安堵は、言葉にし難いものがある。

綿菓子をひっぱったような雲もまた、短い季節のはじまりを教えてくれている。
そこにしかない空。




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