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若い人は尋ねる。

「歳をとったらわかるよ」「歳をとればだんだん楽になってくる」
そんなの説明になっていないよ。と悩める若い人が言った。

思い返してみると友人達も30歳を前後にモヤモヤとしたものが頭をもたげる人が多かったように思う。
私も26歳くらいから病むほど生きることに苦しんだ。

でも本当に、言葉では説明し難い、年齢を重ねたら「脱力」する感覚を覚えるときが来るのだ。そういう出来事が不思議と起こる。

例えば私の場合。

30歳を過ぎたある日、兄が亡くなっていたという知らせが届いた。
身元不明の遺体として扱われ、亡くなってから家族に知らせが来るまで数年経っていた。
呆然とした。

その翌年、震災に遭った。

体験したことの無い揺れ。外に逃げ出すとどこかしこから聞こえるスマートフォンの警報音。
鳴り響くマンションの非常ベル。
停電した真っ暗な町の空に飛び回るヘリコプター。
呆然とした。
この世の終わりだと思った。

このふたつの出来事をひとつひとつ経験していくごとに、世の中には自分の力や思いではどうにもならないことがあるのだと知った。
それが生まれて初めて感じた「脱力」だった。

ショックとか、悲しいとか、つらいとか。そんな知ってる感情を超えてきた。

起きたことは悪いことだったが、脱力したことで考え方は楽になっていった。

だから「歳をとったらわかる。」「そのうち楽になる時がくるよ。」になるのだけど…それでは答えになっていないよなあ…。

脱力は諦めなのか。
考えることを放棄している、楽している、逃げなのでは?と更に言われてしまうだろう。
苦労自慢ですか?と一蹴されるかもしれない。

大きな出来事に出遭わなければ今のこの苦しみからは逃れられないということですか?
いつ起こるか分からないその出来事まで、苦しみ続けろということですか?
そう問われたら。私は何と言うだろう……。

納得してもらえるような答えは用意できないままだけど、
若い人のヒリヒリするような思いを充分に聞き、受け止め、一緒に悩んだり想像すること。
私に出来ることといえばそんなことくらいだ。

内観し内省し酒を飲みエレカシを聴くその若い人が私はとても好きだ。
ずっと年上の私は若い人から教わったことが沢山ある。

悩める苦しさも、悲しみの果てに何があるかなんて宮本っさんも若い人も私も知らない、見たこともない。

いつもの部屋に花を飾って。コーヒーを飲みましょうか。