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大人的な立ち居振る舞いとか、NOと伝えることとか|姪っ子のレッスンは家族のレッスン

姪っ子、もうすぐ新四年生。

文具女子。スマホはパパかママのお下がりのようだ。
ゲームアプリは課金無しで、
パパの許可があればダウンロード可、
ひとつ取ったらひとつ消す、とゆう方式。

みーちゃん(わたし・オバ)とひでちゃん(夫・オジ)の似顔絵を描いてくれた。

姪っ子画伯、筆圧しっかりめ。


「あれー?ひでちゃんのメガネどんなんだっけ?」

姪っ子がオジに最後に会ったの、たぶん5年以上前。今よりうんと小さかったころ。そもそも数えるほどしか会ったことない。

なのに、その存在や雰囲気は損なわれず保存されているようで、三つ子の魂とはよく言ったもんだ。

髪型も、「にゃははークルクルになっちゃったーー(マチガエタ)」って言ってるから、やっぱり面影は残ってるみたい。そうだぞ、ひでちゃんはパンチパーマ未踏だぞ。

わたしは男の子みたいなショートなのだけど、絵ではポニーテール風に盛ってくれるあたり、かわいく描いてやろうという心意気を感じる。

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旅を終えて、福岡に帰る日の朝。
東京で暮らす弟家族とお茶することになった。

「10時からだとあまり話せないから9時に吉祥寺待ち合わせとか、、、」

と早い目に呼び出されたけど、いっぱい話したいと意気込んでた姪っ子は気恥ずかしいのか、会うなりパパ(マイ弟)の後ろに隠れるのだった。もう一年以上、直接会えてなかったもんねー。

気にせず「元気~?インフルどうやった?」とズケズケ話しかけるオバことわたしにちょっとずつ馴染んで、調子も出てきて、一軒目のコメダ珈琲の席に落ち着くなり、「ねー、みーちゃん?」とこちらの注意を引き、どんな話題かとおもったら、姪っ子の身の上に起こりたてホヤホヤの「パパによる、娘に対して至らなかった案件」についていっしょうけんめい話してくれた。

少したどたどしくもハキハキと状況説明できており、「もしみーちゃんならこんなときどうする?」という仮定法まで使いこなすくらい、大きくなってた。

パパはやれやれという様子で、日頃、姪っ子に言い聞かせていた模範的態度が取れなかったのは事実らしいが、姪っ子のほうにも非がないワケでもないらしい。なんとも絶妙な題材。

姪っ子の望む大人的な立ち居振る舞いを、いつでもどこでもできるかどうか、わたしだってはなはだあやしいナー。

「もっとこうしてくれたらよかったのに、って思うこと、あるよね」

そう伝えるのがせいぜいだった。

姪っ子にとってはショックな出来事だったけど、その背景にあることとか、大人がいつでも完璧ってワケでもない、とか、パパの日頃のがんばりや娘への期待はわかるが、なにごとにも例外はあるってこと、折を観て話しといたほうがいいんでは、とか、お互いに一言ごめんと言えたら尚ヨシだったんでは、とか、ほかにも話したいこと、いっぱいあるなぁ。あえて介入しないけど。

しっかりと、姪っ子なりに自分の気持ちを捉えて、まだ熱いうちに主張できてることには「いいぞ、その調子!」と小気味良く思う。(二軒目でも蒸し返してた笑)

感情の取り扱いについては、またゆっくりお話ししよーよ。

弟嫁こと義妹からは、近頃ママ友とのやりとりを通して思うところあったらしく、「みーちゃん、どう思う?」と意見を求められた。

ここでは前後端折るけど、義妹の、普段の人との接し方などなどを鑑みて、「せやねぇ、(義妹ちゃんはちょっと)感じわるくなってみたらいいと思う!」とお伝えしたら、

「最近、安易に同調するのやめて、思い切って“NO”を伝えてみたところなの!」とのことで、結果、「なぜわたしにそれをゆう?」「わたしにどうしろと?」という“寄っかかられ”から解放されたそうな。わたしのにわか提案はさいわい流れに沿っていたようで、「元気出た!」とご満悦だった。こういうのもケースバイケースなのだけどね。NOを伝えるにしても礼節を保ちつつ、けれどもグダグダにはならないように。義妹ちゃんはお相手に首尾よくお伝えなさったようだ。

その傍らで、二歳半の甥っ子はモーニングセットのあれやこれやに興味を示しつつも、「いる?」と口に持っていくと思い切り手で払いのけようとする。

NOと言える男街道を爆走中だった。

NOを言うのは火星の働き。まっすぐ発揮すると、衝突もすることもあるけど、その先を切り開くこともできるし、守護になることもあるんだよね。

繰り返し繰り返し、オバも学びの真っ最中だよ。

星の一葉 ⁂ ホシノヒトハ

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