生きるに値しない世界

「生きるに値しない命」という言葉がある。ナチスが知的障害者や精神障害者のことを生きるに値しない劣等的な資質の持ち主だとし、彼らを毒ガスで安楽死させていたという。当然ながら現代ではこの思想は間違っていたと言われている。確かに、障害があるからとか、差別の標的となってきた出自だからとかそういった理由で人を「生きるに値しない命」とみなすのはあってはならないことだ。

しかし、いつからか私は生きるに値する命などこの世界に存在しないのではないかと思うようになった。誰かが死んだとて、その人の代わりはいくらでもいる。例えば私が死のうと、この社会を動かす歯車の代替品はごまんとある。仮に故人がどんなに重要な役職に就いていたとしても、大抵の場合どうにかなるものだ。

そして、「果たしてこの世界に生きるに値する命など存在するのだろうか? 〇〇だからこの人は生きるに値しない命だ、というわけではなく、この世にいる誰も彼もが生きるに値しない命なのではないか?」という仮説が思い浮かんだ。

そもそも、この世界自体が生きるに値しない。能天気に生きていられればそんなことは思わなくて済むのだろうが、私にはこの世界が苦労してまで生きる価値があるほど素晴らしいものとは思えない。

毎日必死に汗かいて精神をすり減らして働き、生きるために金を稼ぐ。たまの気晴らしも刹那的な救いにしかならない。そして最後に待っているのは死。生きていて何になるのだ? あと何回絶望しながら眠りにつき、目覚めたくないと嘆きながら朝を迎えなければならないのだ?

こんな世界で生きていたくない。生きていたくないのに死ぬ勇気も出ない。自殺したいと喚いてもそれを実践する勇気は出ない。周りは皆口をそろえて言う、「死んじゃだめだ」「生きていればそのうちいいことがある」。ネットで何度「自殺 方法」と検索したことか。そしてそのたびに表示される「いのちの電話」なるものを見て何度ため息をついたことか。ーー違う、そういうことじゃない。私は今すぐにでも死んでしまいたいのに。生きていたって何にもならない、くだらないこの世界から逃げ出したいだけなのに。

生まれてきたくなかったのに、生きていたくないのに、無理やり生きさせようとする。まさにそういうところが生きづらくさせている所以であるというのに! 人間は泣きながら生まれてくる、自分の意思とは無関係に。そして人々は、この世界は死なせてもくれない。楽に死ぬための手立ても与えてはくれず、かといって幸せな人生を保証してくれるわけでもないのに、無責任に自殺を止め、生きることを強いてくる。こんな残酷な世界はやはり生きるに値しない。そして何の解決にもならない思考を延々と繰り返している私も生きるに値しない命なのだ。

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