蒲田の美容室
妻はわざわざ蒲田まで髪を切りに行く。
結婚前、二人で平和島に住んでいた。妻の会社の近くだった。
仕事が忙しく、深夜タクシーで帰ってくることが多かったので、
なるべく近くに住むことにしたのだ。その頃から蒲田の美容室へ行きはじめた。
彼女はかなりの癖っ毛で、切る人の技量というものが必要なようだ。一度、平和島にある別の美容室に行ったことがある。キン肉マンのウォーズマンみたいな髪型になって帰ってきた。
ウォーズマンだとは口が裂けても言えなかった。ウォーズマン必殺のベアクローで私の四肢が引き裂かれてしまうからだ。
ウォーズマンにならないように、彼女は蒲田の美容室へ行くのだ。
子供が産まれ、彼女も仕事をセーブするようになり、平和島に住む理由がなくなった。それで今住む西東京市に越してきた。
「近くにいい美容室がないから、表参道で切ってこようかな?」
いいじゃないかと思った。美容室といえば、表参道だと聞いたことがある。いいねいいねと囃し立て、彼女を見送った。半日して妻が帰ってきた。ウォーズマンになって帰ってきた。
「やっぱり蒲田に行けばよかった…」
前髪をベアクローはめた手でいじりながら、悲しそうに妻がいう。
そう?いいと思うけれどな?までも?そのほうが気分がいいなら?蒲田に行くのはどう?そうだね?蒲田?別に都内だし?会社帰りとか?ついでだしね?
と僕は必死にリングサイドからエールを送る。
妻はかれこれ蒲田に7年通っている。
妻が美容室に行った日、僕はなるべく早く帰りたくなる。
キッチンで、何事もなかったかのように料理する妻を想像する。
隠しきれない晴れやかさと褒めてほしい目を帰ってきた僕に向ける彼女を想像する。
今日も妻は蒲田に行った。
パリジェンヌになって帰ってきた。
蒲田にはどうやらすごい美容師がいるらしい。
そしてどうやら、僕は妻を愛しているらしい。
もしサポートいただけたら、こどものおむつ代にさせていただきます。はやくトイレトレーニングもさせなきゃなのですが...