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技術的な笑顔|日記

朝から病院に行った。とても混んでいた。受付のエリアには人がごった返していて、整理券を配っていた。僕は114番のカードをもらった。みな入り口で整理券をもらって、カウンターの前に列をなしていた。カウンターの前だけではスペースが足りず、その列は廊下のほうに伸びていて、廊下のどん詰まりまで人が並んでいて、そこで折り返して、また入り口付近まで人が並んでいた。入り口の周りには常に人がいて、自動ドアはその人たちを感知していて、ずっと注意深く全開になっていた。だから受付は寒かった。

どうなってるんだ!と騒ぐおじさんがいた。この惨状を院長は知っているのか!と受付のお姉さんに向かって怒鳴っていた。お姉さんがかわいそうだなと思ったのと同時に、ああやって怒鳴り散らしている人をみるのが僕は嫌いだ。小さい頃から嫌いだった。特に怒鳴り散らしている大人が嫌いで、みているとイライラしてくる。イライラはするが、怒鳴り散らされると怒鳴り散らされるで、何も言い返せず、呆然とするということが子供の頃よくあった。最近は自分もおじさんになったからだろうか、怒鳴り散らされることがなくなった。怒鳴り散らすおじさんにもならなかった。どちらもよかったなと僕は思った。

さすがにおねえさんがかわいそうだと思って、僕は列から離れて、おじさんのところに歩いていき、まあまあと落ち着かせようと思った。おじさんの肩あたりまできたときに、受付のお姉さんの顔が見えた。お姉さんは笑っていた。いや口元はよく見えなかったが、笑顔の目元だった。余裕の表情だった。うんうんとやさしく頷きながら、おじさんの怒鳴り声に耳を傾けていた。そういえば最初と比べると、おじさんの怒鳴り声も少しトーンダウンしていた。同じことを繰り返し言っていたし、大きな声をずっと出していたし、きっと疲れたのだと僕は思った。これは大丈夫そうだなと思って、おじさんには声をかけず、列に並び直した。損をした気分がした。
しかし尊いものを見たとも思った。

今日は『僕の名はアラム』を読んだ。待合の時はあまり進まなかった。いつ呼ばれるかわからないと思うと、気になってしまって、本がなかなか先に進まない。マルチタスクが苦手なのがこういうところにも出てくる。

最近意識的に子供が主人公の小説ばかりを読むようにしている。不思議なことに、子供が主人公の小説の多くは短い章の積み重ねのような構造になっているものが多い。子供でもよめるようにするための配慮なのかもしれないが、その短い章の連続が、なにか自分の中の、少年時代の記憶の構造に似ていると思った。何か細かい単位で時間が刻まれていて、そのおかげで毎日を長く感じていて、これから先のことが、なにか途方のないことのように感じるあの感覚。そういう感覚を表現するのにも、短い章の積み重ねというのは良いのかもしれないなと思った。

また病院の売店で「ボンタンアメ」を買った。
なぜか病みつきになっている自分がいるなと思った。


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