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⑯【亀井雄二 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。

今回の五雲能で「女郎花」を勤める亀井雄二先生。
子方時代の舞台写真や、今年の夏に初舞台を迎えたお嬢様とのお写真も掲載しています。
雄二先生にとって「つなぐ」とは?

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――雄二先生が「受け継いできたもの」は何ですか。
僕が受け継いできたのは、身長ですかね(笑)。僕はあまり背が高くないので、「能舞台に丁度いい身長だ。」とか、「お前は装束を着けやすい。」と言われたことがあります。胴長短足なので(笑)、着物が似合う体形だそうです。身長は自分ではどうしようもできないことなので、親から受け継いできたものと言えるかなと思います。

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ちなみに今日は親父からもらった紋付を着てきました。僕は親父より少しだけ手が長いので裄が短いのですが、このまま使わせてもらっています。

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家紋は稲なんです。この稲紋はあまり見かけないですよね。お稲荷さんの紋にも似ているような。珍しい紋なので、僕自身も正式な名称はよく分かっていないんですよ。


――親や先輩から言われて大事にしている言葉やアドバイスを教えてください。
親父(亀井保雄)とあまりそういう話をしたことがなくて。小さいころは親父に稽古を受けていましたが、大人になってからはないですね。親父の対談のときにもありましたが(※インタビュー第11回に掲載)、高校3年生で進路を迷っているときに、「別に俺一代でいい。」と言われたのは印象に残っていますね。


――現在は髙橋章先生にお稽古を受けているとのことですが、どのようなアドバイスをいただきましたか。

髙橋章先生には、僕が大学に入ったころにお稽古をお願いしました。
先生からは「基本に忠実に、とにかくやりなさい」というお言葉をいただいています。
一番、基本が難しいですよね。能は、いかに自分を押し殺して、いかに自分を出すか、といった相反する面が強いので、基本ができていないとどうにもならないですね。


――慶應義塾大学の能楽サークルで指導されていると伺いました。大学でのお稽古はいかがですか。
能楽研究会宝生流では親父と週替わりで交代しながら教えています。慶應のサークルの始動は金井章先生が始められて、親父が受け継いで、今は僕もお稽古させていただいているという流れです。

今はサークルに入る学生の人口が減っているのと、コロナ禍で学校に通学している人が少ないのもあって、なかなか新入生が入らず難しいですね。約70年続いているサークルなので、どうにか継続できるように新入生の勧誘を頑張りたいです。

昔は、勧誘をするときに先輩が新入生を部室に引っ張ってきて、初めは嫌々だったけれど、やっているうちに面白くなって続けていたという話もよく聞きました。
若い人たちが今でも稽古をしてくれていますから、何かしら面白さを個人それぞれで見つけてくれているんだと思います。日本文化が好きで入った学生もいます。

去年がサークルの創立70周年だったんですが、コロナ禍で発表会ができなかったため、今年の11月に70周年の会をさせていただくことになりました。
60周年のときは僕が内弟子を出たばかりのときだったんじゃないかな。そのときは能が3番出ました。番数が多く、丸一日ずっと会をやっているような感じでしたね。

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「慶應宝生会」というのは現役の学生のサークルの名前でして、「三田宝生会」がOBOGの会です。慶應で「~三田会」というのはほとんどOBOGの会なんですよ。
今は情勢が少し落ち着いてきたこともあり、幹事の方とご相談して、やりましょうと決めました。また先延ばしにしてしまうと、ずっと開催できなくなるかなと思いましたので。

他に、同年代の仲間7人で合同の会もさせていただいております。最初は「浴衣会」としてスタートして、あとから「七葉會」という名前になりました。
メンバーそれぞれで力を合わせて、素人会と玄人会を毎年開催しております。

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このように玄人会も開催できるというのは、とてもありがたいことですよね。人の縁に感謝です。


――今年の夏にはお嬢様が初舞台を勤められたそうですが、いかがでしたか。
僕自身がとても緊張しました。娘は人見知りと場所見知りをするため、まず慣れさせるために、何度か能楽堂へ稽古に来させていただきました。
当日は、妻を娘の正面にくる席に座らせて、娘には「そっちだけを見てなさい。」と言って。結局はキョロキョロしていましたけど、どうにか謡ってくれてよかったです。

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――お嬢様が勤める曲について、何かお話しされましたか。
曲についてはそこまで話さなかったですね。僕も子方の稽古を受けていたときに親父からどういう曲で、とは教わっていなくて、とりあえずオウム返しで謡を稽古していましたので、娘にも同じように稽古しました。

――お嬢様はお着物を着るのはお好きですか。
好きですね。妻がもともと着物を着るのが好きでして、娘も嫌がらずに、むしろ「着たい!」と言ってくれるのでありがたいです。

お墓参り

(お嬢様と一緒にお墓参り)

――先生は子方だった当時のことを覚えていらっしゃいますか。
全然覚えていないですね。「船弁慶」の子方をよくさせていただいたなというのは覚えています。僕から上の年代の方まではちょっと間があったので、たくさん勤めさせて頂きました。小学生のころは背もほとんど伸びず、小さいままでしたから子方を勤めるにはよかったですね。

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(能「船弁慶」義経 一番右端)

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(能「西王母」子方)

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(地方で独吟をしたときの写真)

子方のとき、舞台の一週間前に骨折したこともあります。遊んでいたときに飛び降りて左腕を骨折したんです。そのときはさすがにどうしようかと思いましたが、ギブスをしたまま舞台に出ました。左腕だけやけに良い型をしているようになってました(笑)。

初舞台では「鞍馬天狗」の稚児を勤めました。子方はじっと座って、動いちゃいけないんですが、きっと動いてたと思うな(笑)。東川尚史くん、佐野玄宜くん、當山淳司くん達くらいの世代ともよく一緒に舞台に出ました。

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(能「鞍馬天狗」 一番右が牛若を勤めた雄二先生。
花見 東川尚史、佐野玄宜、當山淳司ほか)

東川くんとは、小さいころから今も家族ぐるみで付き合っています。
先ほどの「七葉会」のメンバーは藝大のころから一緒でした。
内弟子時代に寝食を共にする経験はやっぱり大事だったなと思いますね。なんとなく相手のことが分かるというか、お互いを補い合う経験をしました。

――先生はどんな学生でしたか。
普通の根暗な子でした(笑)。ファミコン世代でしたからファミコンで遊んでいましたし、外でも遊んでいましたね。中学校とか高校は暗い方だったと思います。
高3のときに進路をどうするかという話になって、大人に相談しましたら、「その家に生まれたのも才能じゃないか。」と言われたことがあって。とりあえずやれるとこまでやってみるかと思っていたらここまで来ました。


――能を続けてみていかがですか。
果てしないですね。それもこれだけ能が長く続いてきた理由なのかなと思いますが。捉えどころがあるようでないと言いますか。

僕が内弟子のころ、近藤乾之助先生が袴能で「熊野」を勤められたことがありまして、そのとき僕は楽屋の幕から覗いていたんですが、本当に花見の景色が見えました。袴能は面や装束がないため、それらに頼らないレベルの高い芸を要求されるんです。その状態でさえ、僕のような下っ端でも花見の景色が想像できるくらい、芸のすごさをまざまざと見せていただいたような気がしますね。

内弟子に入ったとき、先代から「お前はどういう役者になりたいの?」と聞かれて、僕は「お客さんを感動させる役者になりたいです。」と答えましたら、「それは役者として当たり前のことなんだ。役者を感動させる役者になりなさい。」というお言葉を頂きました。確かにそうだなと思いました。
近藤乾之助先生の「熊野」は今でも忘れられないですね。

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――今回の五雲能で「女郎花」を勤められますが、このお役をいただいてどういう印象をお持ちになりましたか。

どの曲も簡単なものはないんですが、特に難しいなと思いました。
「女郎花」は恋愛重視で普通の修羅物と違うと言いますか。普通は戦いの苦しみが描かれることが多いんですが、「女郎花」は恋愛ゆえの苦しみを描いているという特徴があります。カケリも独特なんです。

――注目して観ていただきたいところを教えてください。
前半は、ワキとのやり取りがあるので、題名の通りそこに女郎花がたくさん咲いているように感じていただけたらと思います。後半は、個人的には女郎花が1輪だけ咲いているようなイメージをもっておりますので、恋人の生まれ変わりじゃないですが、そういう対比が表現できたらいいのかなと思います。
先代が書かれた文章の中に「月を表現するにあたって、能楽師は言葉(謡)でしか月と伝えられない。」とありました。他の演劇のように後ろに満月や三日月の絵やセットを出すことはできないので、お客様ご自身の中でいろんな月を想像していただくことになります。観ている方全員に満月を想像していただけたら、それは一番すごいことなのかなと思います。なかなかそう簡単にたどり着く境地ではないですが、それができる役者になれたらと思いますね。


――最後にお客様に向けてメッセージをお願いします。
僕の勤める「女郎花」の後が「半蔀」と「紅葉狩」ですから、バラエティーに富んだ会かなと思います。「半蔀」は源氏物語の話ですし、「紅葉狩」は戸隠山の伝説からとった話ですから、面白さがあります。植物づくしです。

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日時:10月22日(金)、インタビュー場所:宝生能楽堂稽古舞台、撮影場所:宝生能楽堂稽古舞台、11月五雲能に向けて。

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亀井雄二 Kamei Yuji
シテ方宝生流能楽師
亀井保雄(シテ方宝生流)の次男。1984年入門。19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。初舞台「鞍馬天狗」花見(1984年)。初シテ「吉野静」(2007年)。「石橋」(2012年)、「道成寺」(2013年)、「乱」(2017年)を披演。


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――おまけ話

スタッフ:先生の子方のお写真、とても可愛いですよね。
雄二先生:女の子に間違えられたこともありますよ(笑)。大坪喜美雄先生のお父様の十喜雄先生に、子方を勤めたご褒美でビーズをいただいたことがあって、そのときは大泣きしましたね。

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