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⑱【東川尚史 先生】宝生流能楽師をもっと身近に。

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今回の五雲能で「絵馬」を勤める東川尚史先生。
学生時代に夢中になったこと、能楽師を続けている理由についてもお伺いしました。
尚史先生にとって「つなぐ」とは?

――尚史先生が「受け継いできたもの」は何ですか。
東京の向島に「めうがや」という老舗の足袋屋がありまして、そこで作られた僕専用の足袋です。「こはぜ」(足袋の履き口にある金具)には平仮名で「ひがしかわ」と入っています。みなさんも、めうがやで足袋を作っていただいたらご自身の名前を入れてもらえますよ。

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「めうがや」はすごく昔からあるお店で、浅草の芸者さんの足袋なども作っていたそうです。今は大将と息子さんが二人でお店をやっています。機械ではなくて手で作っているので、一日に数足しか作れないんですって。注文してから出来上がるまでに3~4か月はかかりますね。
僕は装束を着て舞台に出るときには必ずここの足袋を使っています。機械で作られた足袋も使うこともありますが、それは装束を着ないときとか、お稽古用ですね。

うちは父(東川光夫先生、※第3回インタビュー掲載)が能楽師で僕は二代目なんですが、実は父がここの足袋を使っていて、父から「めうがやっていう足袋屋があるからお前も使ってみたらどうだ。」と言われたのが、このお店を知ったきっかけでした。5~6年前くらいかな。ちょうど「道成寺」を勤める前に初めてめうがやで足型を取りました。

――足型はどのように取るのですか。
足を台に置いて測って、型を取って、布を型版みたいなものに合わせて切ってという流れですね。1回作って履いて、洗濯してまた履いてを繰り返します。それできつくなったり、入らなくなったと言うと調整してくださるんです。本当の職人ですよね。

大将が「使った後は必ず感想を聞かせてください。」って言うんですよ。滑りにくいとか、きつくて入らないとか、とにかく何でも言ってくださいって。けど、申し訳なくてなかなか言いにくいんですよね(笑)。足袋の場合はぴたっとなっている方が形が良いので、きつくて丁度良いんですけどね。
これは大将の受け売りですけど、足袋を作るのに「二生かかる」そうです。一生じゃなくて二生。

他にも受け継いできたものをいろいろ考えたんですが、どうしても思いつかなくて。
父が錚々たる先生方から受け継いできたものはありますが、それはそんなに長い歴史があるわけではないんですよね。この足袋は新しいものですが、これからまた繋がっていくだろうと思って持ってきました。
あと、足袋は僕ら能楽師が一番お金をかけないといけない大事なものですので、これを選びました。

――親や先輩から言われて大事にしている言葉やアドバイスを教えてください。
亡くなられた僕の師匠の佐野萌先生からは、僕がいつも通りにお稽古で謡っていると、「かっこつけて謡っているんじゃないよ。」と言われたり、昔の人のテープを聞いてこんな感じかなと真似て謡ってみると、「真似するのは10年早い!」って怒られたりしましたね。とにかく宝生流の謡は調子を張って、若いうちは大きな声を出さないとだめだと。でも実際にそうやってみると「うるさい!」って言われるんですよ(笑)。「え、どっち?」と戸惑いましたが、きっとそれが分かるようになるまでが修行なんですよね。うちの父からも「とにかく基本に忠実になりなさい。」と言われることが今でも多いです。


――先生が能楽を続けてきた理由は何ですか。
この話をすると3時間くらいかかってしまいますが(笑)、簡単にまとめますと、父が能楽師なので、僕の場合は子どものころから子方になって、知らないうちに舞台に上げさせられて、大学は藝大に入れさせられて、内弟子に入りました。

僕は藝大生のときにすごく悩んだんです。今まで親に反発することはなかったんですが、そのときは反発して、不良になってしまい(笑)。舞台を休むとか、藝大も行かないとか、1年くらい悩んだんです。

実は、僕はミュージシャンになりたくて、バンドをやってギターを弾いてプロになりたいと父にも言ったことがありました。父からは「お前がやりたければやればいい。別に俺だってやりたくて能楽師になったんだから、お前がやりたいものがあればそれでいいよ。」と言われて。それで僕は大学もやめるし自分のやりたいようにやると言ったんですが、そこまでの度胸はなかったんです。

あとは音楽の才能がなかった。やっぱり小さいころからやってきたものと、いきなり新しくやったものなので、積み重ねの差が、どう考えても能の方が上だったんですよ。
音楽はだめだなと思ったのであきらめて、藝大の3年生くらいになってまたちゃんと能を勉強しようと思い内弟子に入りました。紆余曲折は私にもあります。

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――音楽をやって今に活かされてきたことはありますか。
音楽は能と近いところがありましたね。能だと囃子方が演奏する側で、バンドで言うとボーカルがシテ方じゃないですか。演奏する楽しさは能と通ずることもありましたが、当時は若造だったので、能の世界から逃げたいという気持ちがありました。
今は後悔していないです。こっちの道に行って良かったと思っています。


――尚史先生の子方時代についてお伺いしたいです。
子方のときは楽屋でみんなでゲームボーイで遊んでたり、漫画読んだり、走り回って怒られたりしました。幼馴染のような人がたくさんいるまま大人になったような感じがしますね。

亀井雄二(※第16回インタビュー掲載)と僕は同い年なので、小さいときからずっと一緒にいましたね。両方とも親が能楽師で、藝大も同じ代に入って、藝大を卒業する前に内弟子に入っているので。僕は藝大の途中でちょっと行方不明にはなりましたが(笑)。

――初舞台はどのような役でしたか。
亀井雄二と一緒で初舞台は「鞍馬天狗」の花見でした。幕が上がったら前にいる小さい子どもについていくだけの役で、ちょうど僕の前にいたのが雄二でした。とてつもなく緊張した感じはなかったですね。
子方は天皇の役が多いんですよ。最初から最後まで座っていて、謡も一句もないような役であれば小さい子でもできるので。
でも実際は黙って座っているのも結構つらかったです。稽古のときは自分が関係するタイミングのところしかやらないので短かったのですが、本番はすごく長くて。「いつ立てるのかな。稽古のときはもうすぐだったのに。」と思いながら座ってましたね。

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(写真後列左:小倉伸二郎、前列左から亀井雄二、佐野玄宜、東川尚史)

僕は人買いに売られた子ども役が多かったです(笑)。目立つかっこいい子方の役もたくさんあるんですけど、そういう役はほとんど雄二がやってました。雄二がやっているのを見ていて、いいなと思ったことがあります。男の子は、刀抜くのってかっこいいなと思いますよね。やってみたいなと思ったのですが、やりたいなとは言えないですし。何回かそういうかっこいい役もやらせてはもらえましたが、たくさんできる子方は羨ましかったですね。

――12月「七葉會」がもうすぐですので、ぜひどのような会か尚史先生からもお話をお伺いしたいです。
亀井雄二のインタビュー記事と被る話になるかもしれませんが、七葉會は最初、「合同浴衣会」って名前で5回までやったんですよ。みんなお弟子さんが少なくてお金もなかったので、みんなでお弟子さんを集めれば発表会ができるだろうということで7人で始めました。
でも「合同浴衣会」って名前はダサいなと思って(笑)、5回目の記念のときに「七葉会」に変更したんです。
みんなまだ木にはなってないだろう、まだ葉っぱだから7人の葉っぱで七葉会という名前にしました。これは良い名前だと思っています。

その七葉会を10回目までやって七葉会の「会」の字を「會」という難しい方に変えました。去年、お弟子さんたちがみんな宝生能楽堂で発表会をやるには厳しい社会状況だったため、僕たち玄人の発表会ということで、お弟子さんたちに観に来てもらうことになりました。それが好評だったので、今年の12月にも開催することになっています。

みんな同世代なのでやりたくないことは言うし、我慢しないので、その関係性がとても良いんですよね。
チラシ作りもみんな僕らでやっています。何度もみんなで話し合って作りました。この七葉會のエンブレムを使ったグッズも考えているので、みなさまお楽しみに!

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――今回の五雲能で「絵馬」を勤められますが、このお役をいただいてどういう印象をお持ちになりましたか。

僕は「絵馬」のシテ以外の役は全てやっているんですよ。後場で相舞をする男神と女神は5~6回やっていますね。舞台がどういうものか分かっていたので、シテは相舞をしなくていいので、いいなとずっと思っていました。

「絵馬」は、「高砂」などの一般的な神様が出てくる曲の、前半はおじいさんで後半は若い神様が出てきてぱっと舞って、天下泰平めでたいね、というお話とはちょっと違うんです。
「絵馬」は節分の話で、おじいさんとおばあさんが神社に絵馬をかけているところから始まります。実は天照大神と天鈿女命がおじいさんとおばあさんに化けていて、来年も雨が降ったり、晴れたりしますようにと祈っているんですが、なんだかそれが他の能にはないような感じがします。

シテを稽古してみて、自分が他の役で「絵馬」に出て見ていたときよりも面白いなと思いました。シテとしてやることは少ないですが、「絵馬」の神舞が宝生流の中だと一番スピードが速いんですよ。宝生流の場合、神様の位が上がると舞のスピードが上がるので、日本で一番上の神である天照大神の神舞は人間のスピードを超えるような速さになります。

あと、登場人物が多いので舞台が狭いんです。だからこのスピードでも装束をつけて舞えるんだと思います。舞台を広く使うときは、ゆっくりな舞にしないと囃子のスピードに間に合わないですよね。

神舞はとにかく速いので、囃子方にとっても「絵馬」は大変な役らしいです。過去の舞台音源を聞いたんですが、こんなに速く打てるのはすごいなと思いました。

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――最後にお客様に向けてメッセージをお願いします。
12月の五雲能の「花筐」も「小鍛冶」も人気曲だと思います。
今、刀剣女子というのが流行っているじゃないですか。「小鍛冶」は三条小鍛冶宗近の刀の話で、分かりやすくて初心者向けでもありますね。
「花筐」はテーマが複雑なので、玄人受けすると思います。
「絵馬」は能を観たことがない人でも飽きないんじゃないかなと思います。それでも観ているときに寝る人はいると思いますが。僕は面の中から確認してますからね(笑)。「寝てるな。暇なんだろうな。面白くないのかな。」って思ったりもします。それはそれで気持ち良ければいいんだけど。だいたい神舞でハッと起きるから。

是非一度は能楽堂に来て能を観てみましょう。知らない世界の扉が開くかもしれません。能楽堂でお待ちしています。

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日時:11月24日(水)、インタビュー場所:宝生能楽堂ロビー、撮影場所:宝生能楽堂ロビー、12月五雲能に向けて。


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東川尚史 Higashikawa Takashi
シテ方宝生流能楽師
昭和55(1980)年、千葉県生まれ。
東川光夫(シテ方宝生流)の長男。1985年入門。18代宗家宝生英雄、19代宗家宝生英照に師事。初舞台「鞍馬天狗」花見(1986年)。初シテ「草薙」(2007年)。「石橋」(2013年)、「道成寺」(2014年)、「乱」(2017年)を披演。

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――おまけ話
尚史先生は、佐野弘宜先生や川瀬隆士先生と、バンド演奏を行ったことがあるとのこと。デビューライブで解散してしまったらしいです(笑)。

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