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私の推し面⑩【宝生和英 先生】

宝生能楽師が憧れているあの面、
思い入れのあるあの面…
そんな「推し面(めん)」を月に1回ご紹介していきます。
 
第10回目は12月、日本全国能楽キャラバン!宝生流東京公演で「復活のキリスト」を勤める
シテ方宝生流第二十代宗家、
宝生和英 (ほうしょう かずふさ) 先生。

――ご宗家にとっての「推し面」を教えてください。
私の推し面は「木汁怪士(きしるあやかし)」という面です。
面は本面・写し・別と三段階に分かれているのですが、一番大事だとされているのが本面なんですね。私が初めて使った本面として記憶に残っているのは、この木汁怪士です。「船弁慶」という曲で使いました。

「木汁怪士」

その当時、私は家元になり立てで、武田孝史先生(※)に能面装束の選定を代行していただいていました。
一般的に「船弁慶」では「筋怪士(すじあやかし)」という、こめかみに筋の入った大ぶりの面を使うことが多いですが、武田先生は、私が比較的顔が小さくて小柄なので、バランスを考えて、筋怪士ではなく、小ぶりなこの面を選んでくださいました。

※武田孝史先生についての記事はこちら

それから私の中で、その人の持っている顔のバランスにあった面の選定というのを大事にしたい、と思うようになったんです。
例えば「道成寺」を勤めたときも、通常は「真蛇(しんじゃ)」という大きな面を使うのを、あえて小さい面の「浮木般若(うききはんにゃ)」に切り替えました。

もう一つ、この面の面白い所は、実は失敗作ということなんです。眉間やおでこにたくさん青い筋が入っていますが、これは木の汁、ヤニが出てきてしまったんですね。

本当はヤニ抜きといって、今ですとエタノールにつけて檜の油分を抜きます。そうしないとヤニが滲み出てきて彩色に影響が出てしまうのですが、この面はまさにそれが滲み出てしまっている状態ですね。
 
――もともと彩色したものではないのですね。
そうなんです。本来であれば滲みが出るのは良いことではありませんが、この滲みが非常に亡霊的な痣であるとか、ちょっと生々しさが出て、逆に効果的だということで名物になりました
そういう逆転の発想で名物になったというのが自分としては非常に印象深いですね。

物事って、本人にとっては致命的であっても、それが武器に成り得るというのはまさに今の時代でもあることだと思うんです。なので、物の見方を変えること。この重要性を学べるのかなと思っています。
 
そして、三つ目のポイントとしては、顔が精悍であることです。どうしても亡霊の武将の面というのはどれも厳つくて、出てくるだけで人を恫嚇するような強い表情をしていますが、この面に関しては非常に精悍で、善悪の感情を判断させないのが特徴ですね。

「強い曲には逆のベクトルをかけろ」と言われていて、そこには優しさだったりとか、精悍さだったりとか、そういったものも含まれてくると思います。怒りに震えた役となったときに、怒りに全振りするのではなくて、怒りの中に自分なりの矜持や美しさだったり、武士道をアイデンティティとして持ったりすることが重要です。
怒りに飲まれないようにしていることをこの木汁怪士では表現できるので好んで使っています。
 
先ほど話をした、演者のフィジカルに合わせて能面を選別するのを学んだ面であることと、逆転の発想の素晴しさを学んだこと、そしてバランスを持った能面であること。この3つが私がこの木汁怪士を推したい理由になります。

――面の裏の特徴についても教えてください。
非常に古い面であることが、裏の作りを見ると分かります。古ければ古いほど裏の削りが荒いんです。と言いますのも、いろいろと能面を試行錯誤しているときというのは、作者の意向が強くて、作者らしい削りを残していくためにあえて荒く掘って、技術を残していました。
やがて江戸時代になってくると、将軍や大名に献上するものが多くなってくるので、より綺麗にして、漆を塗って、その下に自分の名前を隠したりとかするような文化になっていくんです。

この面を見ますと、頬に深い刀跡があり、鼻や目には細い鉋で細かく線を刻んであるのが分かります。

――12月に「復活のキリスト」を勤められますが、どのような曲ですか。
約60年前、上智大学の学長も勤められたヘルマン・ホイヴェルスというドイツ人の神父が、日本にキリスト教を布教するために日本の文化、能楽を通してキリスト教のお話を紹介したいということで、私の三代前の十七世宗家である宝生九郎重英と一緒に作ったのが、この「復活のキリスト」という曲です。
この曲はヘルマン神父が能の「隅田川」を観て、そこに着想を得て作られたので、随所に「隅田川」のエッセンスが入っているのが面白い所です。
 
2017年に私がバチカンで国交記念の公演をさせていただけることになったときに、バチカンならではの曲をやりたいと思って、この「復活のキリスト」を復活させたのが始まりですね。
 
この曲はもともと「復活」という狂言だったそうです。初演時には、「復活」と「十字架」という曲がどちらも狂言として上演され、2回目に上演されたときには「復活」が能化して、「復活のキリスト」になりました。「十字架」と「復活のキリスト」を一緒に上演するのは今回が初めてになります。
 
――公演では毎回必ず同じ面を使われたのですか。
実は、いつもは写しの方を使っていたんです。理由としては、本面は貴重なためなかなか外に持ち出せず、今まで「復活のキリスト」が上演されたのは全て遠方だったので、持って行けませんでした。今回、宝生能楽堂でやるので、本面を初めて使ってみようかなと思っております。

「若男」

当時、宝生九郎重英が使っていた面はバチカンやイギリスに献上してしまったんだそうです。

このキリストの曲自体がマタイの福音書の「復活のキリスト」の一説を下敷きにしていて、キリスト自身がまだ神ではない、かといって生きている人間ではないという非常に中間にいる状態であるのを描いているんですね。
そうなったときに、神様の面を使っちゃうとなんだか雰囲気が違うなと思って。かと言って、武将の面みたいなのもまた違うなと。
ちょうどその中間であるような象徴としてこの「若男(わかおとこ)」という面を選びました。

今までやっていた上演では、もう少し人間味のある顔だったのですが、この本面の若男の方が、より初演時のキリストの面に近い表情をしています。

若男は「歌占」や「女郎花」といった、武将ではないけれども憂いを帯びた男性の曲で使うのですが、ちょっと憂いが強すぎて、普通では使いづらい表情をしているんです。
しかし、それがかえってキリストの憂いの様子というのを表せていると思ったので、「復活のキリスト」には最適なんじゃないかなと。

――おでこにあるほくろのようなものは何ですか。
これはハチマキ留めといって、ハチマキを着けるときにここで抑えるものです。結構、いろいろな面にあるんですよ。昔はこの若男もハチマキを着ける曲で使われていたんでしょうね。

――小道具や装束などについても教えてください。
面以外は初演時と全く同じものを使用します。初演では冠の上に飾りがついていて、宗教画で描かれるときの後光を表現していました。
それを2回目の公演のときに、まだキリストは神ではない場面なので、宗教画のキリストの後光はおかしいということになって、飾りを外したんですけど、今はその外した飾りがどこにも見当たらないんです…(笑)。

(写真:学校法人 上智学院)

上に着ている狩衣には十字架が、下の指貫という履物にはオリーブがあしらわれており、非常にキリスト教になじみ深い衣装になっています。


――今回は新しい演出としてキリストの舞が加えられたとチラシに書いてありましたが、具体的にはどのように変わりましたか。
バチカンのときには、初演に関して残っている情報が限定的だったので断片的にでも初演に寄せましたが、キリストのお話になるとキリスト教においては特別な神事だと私は思っていて、やはり「翁」と同じような重要なエッセンスがある気がするんです。「翁」の天地人の拍子を舞いに入れ込んだ演出にしており、かなり神事的な要素を追加しました。私がもう一度キリストの舞を再解釈したという感じですね。
今回は今までとは違ってさらに難易度を上げて、より大事なものとして扱えるような特殊な演出にしました。

――最後に読者の皆様に向けてメッセージをお願いします。
十七世が制作したお能を私が再演出させていただけるのは大変光栄ですので、ぜひ60年の時を超えて東京の地で上演される「復活のキリスト」をご覧いただけましたら幸いです。


日時:11月16日(水)、インタビュー場所: 宝生能楽堂本舞台、撮影場所: 宝生能楽堂本舞台、12月 日本全国能楽キャラバン!「復活のキリスト」に向けて。

✨チケットはこちらから✨


〈宝生和英 Hosho Kazuhusa〉
シテ方宝生流第二十代宗家
1986年、東京生まれ。宝生英照(シテ方宝生流)の長男。19代宗家宝生英照に師事。初舞台「西王母」子方(1991年)。初シテ「祝言 岩船」(1995年)。「石橋」(1998年)、「道成寺」(2007年)、「乱」(2007年)、「翁」(2008年)を披演。一子相伝曲「双調之舞」「延年之舞」「懺法」を披く。
伝統的な公演に重きを置く一方、異流競演や復曲なども行う。
また、公演活動のほか、マネジメント業務も行う。
海外ではイタリア、香港、UAEを中心に文化交流事業を手がける。
2008年東京藝術大学アカンサス音楽賞受賞、2019年第40回松尾芸能賞新人賞受賞。

 
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