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コミュニケーションを他人任せにするということ。

先月から転職活動をはじめた。
転職サイトからスカウトのあった企業のカジュアル面談をぼちぼちと入れて、面接に備えて練習をしているが、うまく会話ができない企業があり、なぜそうなったのかを考えてみた。

「こんなこと聞いていいのかな」「話しすぎたらいけないかな」など、余計なことを考えてしまっていたのだ。もっと色々聞いてみたってよかった。
あんまり話題を振ってもらえないな、盛り上がらないな。なんて思っていたけれど、そもそもとして相手に会話をリードする権利を委ねていた。
もっと興味があったし、話したいこともあったのに、相手任せのコミュニケーションをしてしまったばかりに、思ったことが話せなかったのだ。
当然、微妙な空気感のまま面談は終了。
魅力的な事業を行っている会社だっただけに、自分がそこに役立てそうなことをアピールすることができなかったことを悔やんだ。

私は学生のころ、自分のことを「人見知り」だと考えていた。大人になってからは、それに対して極力言及せずになんとかやってきた。が、根本的な部分は改善していない。
誰に対しても、会話の主導権を相手に委ねていた。話しかけられたから、話す。聞かれたから、聞き返す。何もアクションがないなら、こちらからは何もしない。
そんなことを繰り返していたら当然友人は失うし、所属しているコミュニティの中でうまくいくはずもないのだ。

そんな簡単なことにも気づかず、30代も半ばだ。
常に誰かのせいにしていた。相手がこうしてくれないから私はできなかった。私は悪くない。相手が悪い。
まったくもって意味不明な思考である。
長年人間関係がうまくいかないことに悩んでいたが、他人任せの態度を取る人間と仲良くしたいと思う人間はいない。自分ですら、そういう相手が目の前に現れたとして、仲良くしたいと思わないんだから。

自分がしたいなら、自分からやるしかない。
30年以上積み上げてきたこの性格やクセを直すことは非常に骨が折れるが、直さなければいけない。自分のために。
考えることを放棄して、自分の思う結果が手に入れられるはずがないのだ。
「自分に責任を持つ」という言葉の意味を、今更理解し始めた。

自分がなぜそう思うのか。なぜそういう行動をするのか。自分が起こすすべてのアクションに対して深く考えておかないと、行き当たりばったりの生活になる。
その時はやりたいと思ったんだけど、やっぱりやりたくない。といった考えに至ったときに、積み上げてきたものをすべて放棄してしまう。
「やりたいと思った理由」と「やりたくないと思った理由」について深掘りしてから、やめるかどうか決めなければいけないし、そもそも始める前に「やりたいと思った理由」を深掘りしておかないといけない。
私は常にこのあたりが行き当たりばったりで、色々なことに挑戦してはすぐにやめてきた。「合わないならやめればいい」みたいな思考は気軽に挑戦できて便利な言葉だが、そもそも始めるときに熟考する必要がある。

世の中には「逃げてもいい」といった思考法が増えてきたけれど、考えなしに逃げるのは危険だ。無責任に「逃げなよ」というのもよくない。
そういう道があるということを認識しつつ、自分自身はどう思うのか、深く考えていかないと、ちょっと合わないだけで逃げ出す無能のできあがりだ。
私はたくさんのことから逃げて、努力せず、楽な方へと進んでばかりだったと思う。だからこそ、今になって苦労しているのだ。

後悔先に立たずと言うように、「やってこなかった自分」を責めても仕方がない。過去は変えられないと認識して「なぜ」をひたすら自分に問う。「じゃあこれからどうする?」をしっかり考える。

面接やビジネスなど、フォーマルな場面に立ち会うたびに、他の人のように論理的に話すことができない幼稚な自分に萎縮して、避けていた。
この「幼稚さ」の正体は「考えの浅さ」だった。
「苦手だけど、なんとかなるっしょ」といった考えは、「相手がどうにかしてくれるっしょ」という、まったくもって自分勝手な、他人任せな考えだったのだ。
そういう不誠実さは、相手にはすぐにバレる。
相手に向き合って、そのままの自分を見せることが、適切なコミュニケーションだと言えよう。

ひたすらに自分に対しても、相手に対しても不誠実であったことに気づけたのが今日の前進。自分のクセを直すことは本当に難しいけど、逃げ続けることはもうやめにしたい。
自分の考えに正直になり、相手に自信を持って伝えるにはどうしたらいいか。
その方法について探って、試していきたいと思う。

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