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みんなと同じように生きたかった話

今思えば、やろうと思えばできただろうに、「できない」と思ってやらなかったことが多すぎる。
転職活動を始めて1ヶ月半経ったが、これまでなぜまともに転職活動をしなかったのかと頭が痛くなった。自分にとっては初めての試みだが、これを「就活」として大学生の時点でほとんどの人がこなしていたことに衝撃を受ける。

私は大学生当時、就職活動というものをしなかった。アルバイトもしておらず、そのまま卒業する気は満々だった。実家に帰るつもりもなかったし、マジでどうやって生きていくつもりだったのか不明。
見かねた知り合いが仕事を紹介してくれて無事に就職はできたのだが、勤務態度が最悪で半年でクビになった。
その当時の生活も、仕事から帰ったら即寝る→夜中に起きる→ゲームする→もう一度数時間寝て、仕事に行くという謎すぎるサイクル。
収入以上の買い物をするし、とにかくめちゃくちゃだった。
なぜ生きてこられたのか不明。
本当に何も知らなかった。「知らないことを知る」こともなく、ただ、眼の前に起きたことを受け流すというか。支払うお金がなくても、問題にすら感じていなかった。
稼いだお金をどこに使っていたのかも思い出せないが、常にお金はなかった。なんだったのだろう、本当に。

人付き合いにおいてもめちゃくちゃだった。友達との約束は平気で破り、ものは壊し、友情は壊し、彼氏は壊し、何一つとして悪いと思っていなかった。好きなことは酒、タバコ、ギャンブル。
大学を卒業してからは、ひたすら他人に依存。友達や恋人ができれば、自分に従うように。従わなければ、ヒステリー。人格否定。モラハラ。
とにかく常に怒っていて、嫉妬、悪口、暴言はあたりまえ。
本当にめちゃくちゃである。この間ずっと一人暮らしをしていたが、マジでよく生きてたな。20代も半ばに差し掛かる頃には、メンタルがぐちゃぐちゃになって不眠症や鬱を発症していた。
このまま一人でいたら、自分の命を絶つことになるだろうと直感的に感じていた。それぐらい、自分がめちゃくちゃになっていた。
ギリギリの防衛本能が、なんとか自分を生かした。

めちゃくちゃになりながらも、自分が普通ではないことはなんとなくわかっていたようで、ずっと「普通になる」ことが目標だった。今でも若干そうかもしれない。
普通に働いて、普通に友だちや恋人を作って、普通に過ごしたい。
もがけばもがくほど実現しなかった。
夜が来るたびに「死にたい」と思っていた。
たぶん、2年前ぐらいまでは。

子どものころはいい子でいなきゃいけなかった。
親を怒らせると叩かれるので。怒らせないように勉強した。波風が立たないように、無難に生きた。
友達ができても、友達をやめさせられた。
やりたいことを伝えても、拒否。「親の言うことは絶対だ」と、強く言われてやる気はしぼんだ。絵を描くのが好きだったので、絵を仕事にしたかったけれど「お前には根性がないから無理だ」と言われた。

2年前、急に「自分のやりたいことをやる」という考えが頭に浮かび始めて、それまで勤めていた会社を辞めた。自分の好きなこと――絵を描き、ゲームをすること――で、わりとそこそこのお金を稼げた。
そこで得た成功体験が今の自分にも非常に役に立っていると思う。
自分のキャパシティを把握していないがゆえ、上記の活動もキャパシティの限界が来てしまったため現在はストップしているが、心残りはない。
絵を描くための心の炎が、燃えきらなかったのが寂しかったぐらいだ。

自分がやりたいと思ったことは、できる。
「普通になりたい」と思って、好きなことを我慢して我慢してひたすら普通を目指して苦労していた頃の自分には思いもしないことだった。
30もそこそこを過ぎて、ようやくそこに気づくだなんて。
それこそ「普通」は、自分のために考えて、勉強して、やりたいことを実現していくんだろう。
人との関わり方も、相手を支配して離れないようにするのではない。
信頼を築いて、自分から積極的にかかわらなきゃいけない。

本当になんにも知らなかった。
私はADHDの診断は受けていないけれど、成長が遅れている人は、私の年齢ぐらいにようやく成熟するらしい。
「成熟した」と実感できるぐらい、いろいろなことを、常識を理解できるようになった。
これまでの人生のどこかで助言をもらえていたら、と思うこともあったけど、過去の自分の暴虐っぷりを思うに、耳を貸すことはなかっただろう。

気づいた今、まわりには誰もいない。
すべてを失ったあとに気づくなんて、ずいぶん酷な話だ。
それでも、絶望はしていない。むしろ、希望だと思う。
自分で気づくことができたんだから、今自分がいるここが底なら、これから上がっていけるはず。
昔の自分をわかって受け入れてもらうつもりもない。
過ぎた過去を咎める人間すら、もうどこにもいないのだし。

昔の自分は、自分自身に向き合うこともいやだったし、相手を理解するのもいやだった。
2年かけて、少しずつそんな頑固者の自分について向き合った。
今も本音は怖くてひっぱり出せてはいないかも。でも前に比べたらぜんぜん大丈夫。怒りの感情もずいぶん落ち着いた。油断すると、たまに出てきちゃうけど。出てきたときにしっかり気付けるようになった。

「死にたい」と思う日もめっきり減った。
ねむくなったり、疲れたりすると、うっかり独り言で言ってしまうことがあるけれど、はっと気づいて「眠いんだね」「疲れたよね」と、自分に声をかけて早めに休むようにしてる。
自分の心を、頭でうまく制御できるようになってきたのかな。

知らないことが多すぎた自分がかなしくて、やりきれない思いがある。
前を向いていくけれど、10年以上、今も薄っすらと続いている苦しさに、いつになったら別れを告げられるのか。
折れずにやっていくしかない。

常に自分に発破をかけていたけれど、ここ数年、やりたいことがうまくいっている反面で、心のすみっこにやるせない気持ちがずっとあった。
この気持ちを飲み込むためにも、明日も前に進まなきゃね。

負けず嫌いなおかげで生きてこられたから、これからも負けずに。
行き当たりばったりだった人生だけど、ゆっくりみなおして、あらためて計画を立てて前に進んでいきたいな、と思うこのごろです。

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