見出し画像

死ぬと決めて生きること

私が30歳を超えて少し経った頃。
20代のほとんどを精神を病んで過ごしていたが、その頃までもかなり病んでいて、人に依存したり、思い通りにならなければ癇癪を起こしたり、かと思えば夜は眠れず、いつになったら死のうかと布団の中で思案するばかり。
そんな日々を過ごしていた。

若い大事な時間を病みに病んで過ごしてきて、いよいよ私は限界だった。
「そんなに死にたいのなら、40歳で死のう。死ぬと決めたら、それまでに何がしたいかを考えろ」と自分に問いかけた。
「死ぬ」という感覚をよりリアルに自分の中に持つために、40歳を迎えた自分がどのように死ぬかも、なるべく現実的に詳細に考えた。
それから3年ほど経過した今、以前のように暗い気持ちになることも、希死念慮を持つことも随分と減ってきた。ほとんどないと言っても良い。

「学び」にお金を使ってみたり、「家具のアップデート」や「新しい趣味」「欲しい物」にお金を使ってみたり、なるべく自分の時間とお金を好きなことに使うようにしてきた。
それまでは何に使っていたかというと、正直わからない。
虚無に金と時間をつぎ込んでいたと言っても支障ないだろう。
自分のために使うようにしてからは、気持ちの軽さがずいぶんと違う。
「自分を喜ばせる」ことを一番に考えるようになったのだ。

それまでは、「親や周りが納得するようなことをする」としか考えておらず、やりたいことをやっていても、生きた心地がしなかった。
好きなことをしているのに常に罪悪感を抱かなければいけない。
そんなふうに生きていて、死にたくならないわけがないのだ。

「40歳になったら死ぬ」と決めて、好きなことをしてきたが、好きなことをした結果、「40歳から先も生きたい」と思えるようになったし、むしろそこからやりたいと思える夢もできた。おそらく、未来の私は死ぬことはないだろう。
狭い部屋のなかで、狭い世界だけを見て終わるなんて、そんなつまらない人生で終わるのはつらすぎる。

もし、今生きることがつらいと思っている人がいるならば、少し先の未来に死を置いて、その時までに思いっきり自分の好きなことだけをすると決め、行動するのがいいのではないかと思う。

私の人生も、30年生きてからようやく始まったのだ。
後悔しても時間は帰ってこないし、生まれる家も選べない。
けれど、気づいた時点で変えられる。

残りの人生は、自分のために生きてみようと思う。

サポートいただけると、わたしが喜びの舞を踊り、投稿頻度が増え、ご飯がおいしくなります。