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ハガキ職人から放送作家、そして。13

【放送作家9年目(30歳) 2010年】

自分の通帳を見返してみて、改めてお金の管理がずさんだったことに気づきました。財布の中身が無くなるたびに口座から10万円を下ろす、それが月に7、8回。毎月の引き落としの中には家賃やローンのほかに、把握できていないものもたくさんありました。4年前に通っていたスポーツジムの会員費が、解約されないまま引き落とされていたり、好きでもないプロ野球球団のファンクラブの年会費やら、ほとんど見たこともない競馬チャンネルの視聴料まで(すべて僕が解約し忘れたものです)。
ここまで来ると破天荒とかではなく、ただのバカです。

諸々の整理をしつつも身に染み付いた鈍さはすぐには治らず、ついには貯金が底をついてしまいました。当然のように浪費家の彼女も去って行きました。
さらに、このタイミングでテレビのレギュラーが2本終了し、生活費も赤字に。そのまま数ヶ月を過ごしたところで、いよいよ限界がやって来ます。

2LDKに住みながら、全財産が2千円。やっと明日(毎月20日支払いの)給料が入ると思いきや、20日が土曜だった為に休日の兼ね合いで振り込まれるのは週明けの月曜日。金土日を2千円で乗り切るのは、当時の僕には難しいことでした。にもかかわらず、僕は金曜日の夜にタクシーに乗ってしまい、残りはたちまち千円に。節約の経験がなく、つい使ってしまうのです。

引っ越したくても引っ越すお金がない。どうしよう…

僕は引越し資金を借りるために、親に電話をかけました。
あの時の親との会話は今でも忘れられません。情けなさと申し訳なさと、親という存在の大きさ。

この日が、僕が人生で最も泣いた日です。

僕は幡ヶ谷の2LDKを出て、新宿区・新大久保のレンタルルームに引っ越すことにしました。広さは4畳、ロフト付き。部屋を出ると廊下には、共同のトイレとシャワーが2機ずつあります。家賃は光熱費込みで月4万円。
僕はテレビや家具を全て処分し、ノートパソコンと服と洗濯乾燥機だけを持って、そこに入居しました(4畳なのになぜか、室内に洗濯機置き場があるという珍しい物件でした)。

窓の外は、すぐ目の前に新宿から高田馬場へと続く山手線と西武新宿線の6本の線路が走っていて20秒に一本、電車が通るたびにガタガタと振動が伝わって来ます。

「こんなところで暮らせますかね?」

部屋を内見させてもらった時、その建物の1階でリフォーム会社を営む大家さんが、僕にそう言いました。「2LDKに住んでいた人が、住めるような場所ではありませんよ」とも助言をくださいましたが、
僕は「どうしても住ませてください」と言って、貸していただきました。 

やらかしてしまった自分が、再出発するのにピッタリの場所だと思ったからです。

実際に住んでみると、ほとんど不便は感じませんでした。電車の騒音にもすぐに慣れて、むしろ余計なものが無くなってスッキリとした気分でした。新大久保駅から徒歩3分の駅近で、駅前には吉野家や餃子の王将、やよい軒などのチェーン店がたくさんあります。今まで食べていたバカ高い飯よりも、王将の唐揚げ弁当の方がどれだけ美味いことか、この時になってやっと知りました。
元々、自分にはこういう暮らしが合っていたのかもしれません。

引っ越してすぐに新しいテレビのレギュラーが決まり、収入が安定しましたが、僕はそのままそこに住み続けることにしました。

今思い返すと不思議なのは、住民税の件から引っ越すまでの3ヶ月間だけ、やけに出費が重なり、(仕事が減って)収入が減ったということです。
神様が僕に気づかせる為に、3ヶ月間にいろんなことを詰め込んでくれたのかもしれません。中途半端に乗り切れてしまっていたら、僕は未だに馬鹿げた生活をしていたかもしれないし、気づくのが遅れてさらに取り返しのつかないことになっていたと思います。

僕にとって、ここが人生の転機…

とこのまま、いい話で収まれば良かったのですが、人生そう簡単には行かないもの。僕はこの後、また別の試練に遭遇してしまいます。

この話は続きます。


放送作家 細田哲也 ウェブサイト

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