トランプ大統領

トランプ発言に翻弄される日本のメディア

 先週、トランプ大統領の衝撃的な発言が新聞の見出しを飾った。「日本は『殺人』犯している」この衝撃的な見出しに愕然としたが、これは中国や日本、韓国、その他多数の国が米国との不公平な貿易で不当に利益を得て入ることを非難したものだった。それにしても激烈な表現だ。しかしこれは日本の報道の見出しに問題があるようだ。
 

 原文を見てみよう。トランプ氏は”get away with murder”と言ったようだ。これは、「一方がやりたい放題やって儲けて平気で逃げる」という意味で使う品のない慣用句だ。それを大新聞が直訳して「殺人」という見出しを付けるのには唖然とする。英語の慣用句を直訳して見出しに使うことで、一般読者の目を引きたいのだろうか。品のない表現をする方ももちろんだが、これを報道する仕方にも大いに問題があるようだ。

 先月、トランプ大統領のダボス会議での演説の報道はもっと衝撃的なものだった。しかしこれは「勇み足報道」と言われても仕方ないものだった。日本の新聞は一斉に一面トップで「環太平洋経済連携協定(TPP)への復帰検討を明言」「多国間協定に意欲」と報じた。これをトランプ大統領の「軌道修正」と評し、中には「就任2年目で現実路線に方針転換」とまで言い切っている記事さえあった。
 果たしてそうだろうか?

 ところが、その後はトランプ大統領はTPPについて何の方針も語っていない。今後の方針を示す重要な一般教書演説でさえ一言もTPPについて言及していないのだ。
さすがにそれを見て、やっと日本の新聞もトランプ氏に踊らされて報道したことに気が付いたようだ。

先入観で「勇み足報道」をした日本のメディア

 実はこれには伏線がある。トランプ氏は前日のテレビのインタビューで、再交渉を前提にTPPへの復帰を検討する考えを発言して大きな波紋を呼んだ。この衝撃発言を受けて、当然ダボスでの演説に注目が集まっていた。記者たちも勢い演説内容を、前日の発言を前提に聞いてしまう。
それはトランプ氏の思うつぼだった。

ところが、そういう先入観なく、演説内容を読んでみよう。

 「米国は全ての国と、相互に利益のある2国間の交渉をする用意がある。これにはTPPに参加する、とても重要な国々も含まれる。それらのうち、いくつかの国々とはすでに協定を結んだが、すべての利益に合致する場合、残りの国とも個別にまたは多分グループとして交渉を検討する」
 この発言が果たして、「TPPへの復帰検討」「多国間協定に意欲」だろうか。
これは「TPP参加国を相手に、米国の利益となる内容の協定を交渉する用意がある」と言っているに過ぎない。

 実はトランプ氏は地球温暖化対策のパリ協定からの離脱についても同じレトリックを使っている。英国のテレビインタビューで、米国が離脱した世界の温暖化対策の枠組み「パリ協定」についても、「パリ協定に復帰しろと言うなら、それはまったく異なった取り決めでなければならないだろう」と、TPPと同様の発言をしているのだ。

 「異なった内容にすることが条件で復帰する」というのは、「合意された協定は内容が悪いので復帰しない」いう、これまでの「本質的な部分は方針転換しない」と見るべきだろう。日本の新聞の見出しは、トランプのレトリックにまんまと騙されて、いわゆる「勇み足」を犯してしまったようだ。

トランプ氏の目は中間選挙しか見ていない

 ではなぜ、このタイミングで「思わせぶり」な発言をしたのか。

 答えは、トランプ大統領の頭にあるのは、この秋の中間選挙でどうやって勝つかだ。米国抜きのTPPの参加国の間で内容が固まり、3月署名で合意された。これは米国の予想外であったようだ。TPPに対して米国は撤退した立場で表立って反対することもできない。冷ややかに「日本のお手並み拝見」であった。どうせ日本はまとめ切れないだろうと、高をくくっていた。それが予想に反して、日本が主導して調整に奔走した結果、予想外にまとめ切ったのだ。
 米国が焦って当然だった。豪州などTPP参加国に比べて相対的に高関税になって輸出が不利になる牛肉などの畜産業界の焦りは高まる。畜産業界は政治力の強い業界でもある。この秋の中間選挙の対策としても何らか手を打つ必要が出てきた。

 そこでTPP復帰の可能性もあるかのような「思わせぶり」戦術だ。その「思わせぶり」は国内の産業界の焦りにも配慮したポーズとして中間選挙対策に有効だ。「産業界からの圧力で方針転換を迫られた」との日本の報道もあるが、圧力があるからと言って、トランプ氏が本気で方針転換すると思うのは、トランプ大統領の本質を見誤っている。決して本気でTPP復帰を検討するつもりは毛頭ない。
トランプ氏の支持基盤はあくまでも中西部を中心とする労働者層だ。TPPに対して「雇用を奪う象徴」のように受け止めている人たちだ。中間選挙に向けて、支持層を固めようとしている中、TPPから撤廃するという選挙公約を守って大統領令まで署名したものを方針転換するはずがない。

 こうして見てくると、トランプ氏一流の嗅覚で、ダボス会合という絶好の舞台を最大限使って、思わせぶりポーズをした、と見た方がよさそうだ。

日本が翻弄されるのを喜ぶのは中国だ

 日本のメディアはトランプ氏の言葉に振り回されないことだ。もちろん米国のTPPへの参加が最終目標ではあるが、まず米国抜きのTPPを予定通り3月に署名して固めることが先決だ。そして米国市場に目がくらんで動揺する参加国が出ないように警戒すべきだろう。

 多国間交渉の合意は、各国の複雑に絡み合った利害を長い時間をかけた激しい交渉を経て調整して、微妙なバランスで成り立っている。いわば「ガラス細工」のようなものだ。一旦再交渉でパンドラの箱を開けると、際限ない交渉で収拾がつかず、漂流するのは明らかだ。

 こういう混乱した事態になれば、喜ぶのは中国だ。
今、中国は国家主導の経済モデルで世界の経済秩序に挑戦している。これがグローバル経済の最大の課題だ。そこでTPPの戦略的意味が出てくる。
TPPには電子商取引のルールや国有企業への規律など、「仮想中国」を念頭に置いたルールが盛り込まれている。
 従って早急に国際ルールになるよう固めることが最優先だ。しかしそのようなことはトランプ大統領の関心の外だ。日本としては米国の復帰への働きかけは行うべきだが、結果はまるで期待できない。

 それよりもむしろ今後は米国以外に参加国を広げていくべきだ。アジアの国々はもちろんのこと、将来的には欧州の参加も視野に入れるべきだろう。

 今は、中国の台頭によってこれまでの経済秩序が大きく揺さぶられている。本来、米国大統領たる者には、グローバルな経済秩序をどう作るかについて思慮深い戦略を期待したいものだ。しかし今の我々は、国内政治の駆け引きという内向きの目線しか持ち合わせていない米国大統領と付き合わなければならない。
 日本のメディアもそのようなトランプ大統領の言動に振り回されていてはいけない。


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