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小津安二郎監督作品に視る俳優・杉村春子と異化効果・其の壱


ブレヒトの異化効果と『東京物語』


昨年2022年12月、ジェイロック・マジカルでの恒例の「年忘れ演技ワークショップ」にて異化効果篇の初日を終了。

ブレヒトの異化効果とは簡単に言えば、
「これは創りものです。現実はそうではありません、と観客や読者に思い出させること。つまり、登場人物や物語りに同化せず距離を置いて批判的な観察をすることを促す」こと。その為に戯曲や脚本に色々な仕掛けをし俳優に演じて貰う。詰まり、「観客を主人公に感情移入させろッ」と教えて来られた作劇術とは真反対の作劇術とも言える。

「演技ワークショップ」では先ず杉村春子を含む豊富な映像資料を観て異化効果の概略を掴んで貰った。中でも小津安二郎監督の『東京物語』(’53松竹)の杉村春子が、子供たちの住む東京から自宅の広島の尾道に戻って直ぐに亡くなってしまった母親・東山千栄子の「形見分け」を家族の前で言い出す芝居が、広義な意味での「異化効果」かどうかを確認しながら久しぶりに観直してみた。
と、そのシーンではなく直前の「泣く芝居」こそが「異化効果」ではないのかと気が付く⁉️

「遠慮の不在」が日常な『東京物語』

他人同士だとどうしても「遠慮」が介在しがちだが、「親子水入らず」には「遠慮」はない。だから杉村春子の役の様に家族(両親、兄妹、夫)には明け透けにモノを言う。それは一見薄情にも見える。然し、危篤状態の母がもう駄目だと判ると本気で泣きじゃくる。
そして、葬儀の翌朝、臆面もなく父(笠智衆)や兄妹(山村総、香川京子)に「形見分け」の話を持ち出す。そこにも「遠慮」はない。これが『東京物語』と云う作品の秀逸な日常性。

凡百の陳腐なホームドラマやメロドラマの様に美化されたモラル溢れる作劇の日常性に対し、これが肉親、家族、血縁と云うものであり、生きているとはこう云うことだッ、と小津安二郎監督と脚本の野田高梧さんは言い切っている。
詰まり、凡百なベタな作品に対して『東京物語』は異化効果を放ったことになる。故に私も「形見分け」の杉村春子の芝居が『東京物語』の異化効果を代表するものだと考えていた。

怖るべし杉村春子の二重の異化効果


 然し、母親の最期が判ると杉村春子は、ドライな振り捨てて身も世もなく泣きじゃくり、あろうことか「『東京物語』の日常性」に対し異化効果芝居を見せてくれるのだ⁉️  そして直ぐに遠慮のない日常に戻す。詰まり、「二重の異化効果」をやってのけていることに成る。この「変化」「変わり身」は、杉村春子の真骨頂である「俗物表現」の凄さを見せ付けながら、更に別な異化効果を齎している訳だ。
この映画の凄さは、実はこのシェーケンスに集約されていると思う。
黒澤明監督の『生きる』とは違った角度から人間の「生きる」を描き切っている。
因みに、「葬儀の翌朝、臆面もなく『形見分け』の話を持ち出す」アクションは杉村春子演じる志げのキャラクターを表現する「シャレード」にも成っている。

いずれにしろ、杉村春子の異化効果、怖るべしッ。
私の杉村春子研究は,まだまだ続く♪♫

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