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新しさとは何か

自分の中に古い自分と新しい自分が共存している。そう感じるのは古い自分を一貫させる意欲が失われつつあるからだ。もともと飽きやすい性格のところを何者かになりたくて、核となるものを持つという幻想から無理を自分に課していた。それに近ごろ疲れてきた。或る傾向とか立場を持つというのは、自家中毒を起こしやすく息苦しくなる。新しい自分と書いたがそんなものが芽生えてきたのかと考えてみると、単にこれまで気づかなかったこととか改めて見えてきたことに過ぎず、客観的に新しいことが出現したわけではない。だが、あえて問うてみよう。見えてくる新しさではなく、対象そのもの新しさだ。これまで出会ったことのない未知の世界のもの、あるいは謎のもの、そんなものがまだ残されているのか?微生物の極小の世界か、深海に生息する生物か、海底や地下に眠る人類最古の遺物か、しかしそれらは過去の物だ。ウィルスだって人類より古いモノらしい。客観的に新しいものといえば、未だ存在しておらず知覚さえ不可能なものということになるのではないだろうか。知覚不能なゼロという数字、無という観念、イマジネーションという人間の能力、心という領域の場所等々は実在しない。実在はしないが存在はしている。絶対的に新しいものは指し示すことができない、そもそもその言葉がない。無ですらない。絶対矛盾的自己同一の物だ。空という観念に近いものだ。そこから存在が現れてくる「穴」だ。ブラックホールってやつか?ともかくぼくは今を生きている、思考によって。

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