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ぼくは38年間強制収容所にいた

サラリーマン時代、一人の男がぼくの前に立ち塞がった。ぼくは人生で初めて、自分がまるで出来損ないの子供のように扱われているのに直面した。ぼくはぼくの感じたままに生きているのが当然と思っていたが、彼によって根本的に否定するかのように侮られた。最初の数秒間、訳が分からなかった。確かにぼくはサラリーマンで、彼はその会社でのトップにいる人間だった。いったい何の権利があって、そこまでぼくを否定できるのか、まるで犯罪者のように扱うことが可能なのか、さっぱり分からなかった。ぼくが一体何をしたというのか、犯罪を犯したのならどんな法律があったというのか。いや警察だってもっと紳士的でさえあるだろう。彼は意図的に暴力を言葉に込めた。言葉そのものと言葉の発声の仕方が暴力的だった。後年朝礼か何かで、言葉で人を殺せるという話をしたくらいだったから、その時のことが頭に残っていたものと思える。基本的人権の最大のものは、内心の自由であると今では知識があるが、その頃のぼくは無知だった。お前が考えてしたことの全てを私に報告せよ、と宣告した。それが会社というところの法律だ、というのだった。ぼくがサラリーマン時代の38年間を強制収容所にいたというのはそういう事だった。

38年間居た郊外の工業団地にある「収容所」から街へ出てきてみると、街はそのままあって何が変わっているかすぐには気づかなかった。風景はそんなに違ってない気がしたが、しばらくすると確かにバージョンアップされていることが分かる。映画館や書店が地方都市では郊外に移っているので、ファッションや雑貨の店しか残らず女の子ばかりが歩いていることになるのかと思われた。男子学生が見当たらず、どこにも女性ばかりが目についた。それは女のような男が増えてそんな印象を持ったのかもしれなかった。街は綺麗になった分、空っぽで情念というものがなかった。身なりはそれなりにシンプルにまとめられていて、一人一人同じように収まって見える。日曜日に来てみると労働者風の男の姿が見えなくなっていた。ウイークデイには高齢者ばかり目についたのは、今までその時間帯には「収容所」にいたからだ。

38年前には金沢にもジャズ喫茶が3軒あったが、今は一軒残っているだけだ。この前その店に収容所仲間と入って昔話をしていて、店のマスターと目があった。一瞬完全にからだの動きが止まった。ぼくが学生のころ、マスターは大学紛争で緊張関係の中に置かれていたころの状況を知っているらしいと思わせた。その店の入り口のボードには岡林信康のライブを知らせるチラシが貼ってあり、仲間の彼はその日をメモしていた。

ぼくはサラリーマン人生を38年間送ったのだが、よく我慢し通したものだという以外に感慨がない。よかったのは厚生年金が少なくてももらえることだ。妻の年金と合わせれば普通の生活がよっぽどの事故がない限り送れそうだという安心感は、今のぼくには精神的な財産となる。サラリーマンは社畜であり、個人の能力というものは必要がない。社畜の能力だけがある。感性が敏感だと屈辱に身悶えすることになるから、できるだけ鈍感になろうとする。給料の差や人事の不公平感に感情がとらわれたりすること自体が許せないので、鈍感になる方が手っ取り早い。会社を辞める方が賢明だったかもしれないが、器用な方ではなかったので面倒くさくなって流される方を結果的に選んでしまった。そしてますます社畜になっていくわけだが、強制収容所よりはマシだと思って耐えてきたのだ。マシというのはわずかながら給料がもらえ、社会保険や定年までいれば退職金がもらえることだ。だからできるだけ無個性で働くのと、少々の奴隷的な過酷な環境にも耐えられる肉体と精神があればぼくのように定年まで会社に居られると思う。その結果は定年まで屈辱にいかに耐えるかという、自分との闘いになった。

ライバルだった年下の彼は後になって2年間くらい、ぼくの上司になったことがある。競争から降りるとそういう社内環境に追い込まれるということが分かった。彼はその1年目の時やはりマウンティングをやった。彼が取り仕切る部門会議で、会議が始まる前に会議室から自分の席にぼくをタバコを取りにやらせた。予想はしていてもそんな事までするとは思っていなかった。軽蔑したが上司の「命令」には従った。資本主義社会で出世を目指す人間は、こういう種類の人間性を持たざるをえなくなるというサンプルを見た。もしぼくが本物の社畜になっていたら屈辱も感じなかったことだろう。しかし屈辱の感情は簡単に癒されるものではなかった。理性的に批判できても心に蓄積するものはなかなか消し去ることはできなかった。外に向かって怒りを出せれば良かったが、会社を辞めるという選択肢はなかった。妻からは会社を辞めたら即離婚だからと念を押されていた。(妻は自分のやり方でぼくを守った)

会社を甘く見てはいけない。毎日が戦いというほどの覚悟がいると思う。坂口安吾も書いていたが、一番悲惨なことは落伍者になって貧乏になることではなく、それによって自信を失うことだ。くたばらなければいいのだ。要は表面的な現象とか言葉に騙されてはいけないということだ。その頃NHKのラジオ番組に「こころの時間」というのがあって、仏教の中の唯識についての講義が行われていた。仏教はキリスト教批判のニーチェもルサンチマンに結びつかないので認めていた。その講義で仏教が宗教というよりは哲学であることが分かった。祈るのではなく、分かることを基本においているからだ。そして唯識の存在はぼくを幾分保守主義者にした。現在はぼくは天皇制を根拠とする国粋主義には反対だが、天皇を国民が支えるとする国民主義であればその保守を支持する。とにかくその頃の自分との戦いから、唯識との出会いがあり西洋哲学以外の哲学の源泉に触れるチャンスだったとも思っている。

65歳ごろになってようやく過酷だった昔を思い出すこともなくなって、閉塞感から解放されて息をできるようになった、というくらいに定年後を考えている。

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