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自分の老いと向き合う技術

今現在の心の状態を表現していつでも思い返すことができるようにしたいと思う。特段変わったところがあるわけでなく、平静であるものをどうやったら書き留められるか途方に暮れる。本を読み終わった時の頭の中がいっぱいに満たされた時のような、充実感に近い気がする。それ程高揚感があるわけでもない。確かに読書と関係があり、芸術家の工房の中にいるような、自由な空気と決して明るすぎない間接光で照らされた落ち着いた部屋にいるような感覚だ。

それは想像力によって描かれた空間で、幾分肌に感じることもできる心地よいものだ。雰囲気だけが残像のように、じっとしている自分の周りに漂っている。それを幸福と呼んでもいいかもしれない。何もしなくても強制的にやってくる未来(高齢者の場合は「老い」とイコール)を何とかして変えるために、現在を変える必要がある。現在とは自分の周囲との関係性のすべてである。その関係性の一方の柱である「自分」のぼくとの関係性だけは、誰からも文句を言われない部分であり、そこを変えることを今日思いついた訳である。

自分との関係性は自己定義の問題であり、それを第二の人生を歩みだすための足場とすることにする。「界」という概念を新しく使う。「界」は自分の周囲の世界のことだが、客観的に実在する周囲のことではない。むしろ主観によって切り開かれる意識が外界ととり結ぶ世界のことであり、そこから現実の生の形を作り出していくことを目論んでいる。

会社を定年になってやめてすぐの頃と今との違いは、単純に人と接する機会が増えたことにある。人と接することで応答する機会や場が持てたことが今の自分を元気にしていると思う。今日は、先日読書会で文学散歩と称して、能登七尾方面のバス旅行をした時の写真をメンバーに渡すのに、写真係のTさんとやりとりしたのだった。写っている人の顔はTさんには面識がない人も含まれていて、その人用にプリントを用意するのにぼくに尋ねたがぼくも分からなかった。じゃあ、今度の源氏物語を読む会の時にFさんに訊いてみようということになった。そんなたわいもない小さな用事ごとであっても、応答の機会は大切にしたいという思いがある。それが丁寧に日常を過ごすということであり、豊かさを作ることに影響すると考えている。

応答力は、生きるスキルであることをサラリーマンの時に自立するために学んだ経緯がある。応答力によって、他人の「支配」から自分の「支配」に転換できる。それと、丁寧さは自分の世界の深耕に繋がる。作品を創作するように、自分の世界を創造するという方法は、文学的に生きるというぼくの生き方でもある。

自分はいったい何を残して死ぬのかという問いが今日ぼくを苦しめていた。自分には残せるものが何もない、本を読んだり知識を増やしたりというだけでは何も残らない。誰からも認められることなく、認められるようなことを為さず、このまま死んでいくのかと思って無力感にとらわれていると、厳しい現実に向き合わされている自分を感じた。 奇妙な考えだが自分だけは残っていると感じられた。 そういえば先日十年ぶりくらいで再会した友人と最初に顔を合わせた時、お互いの変わらぬ存在をまず喜んだことを思い出した。 そうだ、まず元気で自分の尊厳を失うことなく生活していること自体、何かを残せていることになるのではないだろうか? その友人と久しぶりに3時間ほどアルコールを介してぶっ続けに話し続けた。そういうお互いの応答力と話題が残っていた。 ぼくのいけないところは、ほとんどの人とは同じでいたくないという野心のような心を消せないところかもしれない、、、

自分は人生の敗北者か、という問いを自分に投げかけたことがあるだろうか?結婚して子供ができなかったから、ちょっとは寂しい人生だったかもしれない。どんなことがあっても信頼を失わない友人はいないが、テニスや読書会などの同好の士には恵まれている。贅沢はできなかったが、生活に困るようなことはなかった。人を羨んだり、憎んだりしたこともほとんどない。

会社員時代は出世しなかったが、定年まで仕事ができて退職金も人並みにはもらえた。人並み以上の才能には恵まれなかったから、芸術やスポーツで名を残すことはできなかった。特技はないが、好奇心と向上心はあるので勉強は続けている。こういう平凡な人生は敗北とは言えないのではないだろうか?ただし、成功とも言えない気がする。全身全霊をかけるような挑戦はしてこなかった。仕事でも人付き合いでも、相手とは最終的には関わらない部分を残していた。アルコールはダメだったし、身を崩すほど恋愛にのめり込むなどということもなかった。社長の思いがけない一言で窮地に陥りかけたが、何とか立ち直って耐えた。災害にも合わず、大病することもなく、怪我をするような事故にも合っていない。長い半生でほんの一時期、不登校や学生運動の経験はあるが、その後の人生に大きな影響はなかった。多少は世界観や価値観に影響はしているだろうが、信念を持つほどの思想があるわけではないと思う。会社員時代に学生運動の経験がある人と仕事上で付き合いがあった時、彼から日比野さんは何もしない人ですね、と言われたことがあった。その時は何もできない自分に無力感を感じたが、何もしないのも選択の一つだと今は思っている。まだ時間は残っている。まだ3分の1くらいは残っている。敗北を認めなければ敗北しない、というしぶとさを失わずに生きていこうと思う。「老人と海」のサンチャゴ のように。

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