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村上春樹とロマンロラン

数年前、「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」それと、「風の歌を聴け」を続けて読んだことがあった。驚いたのは処女作で現在までの小説のテーマが既にほぼ出尽くしていたと思えたことだった。ほぼ同じテーマで40年以上書き続けている、、、、(手法は違えているが)

「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」も鼠や直子が自殺する「システム」の追求の文脈に入れることができると思う。もちろん「1Q84」には「アンダーグラウンド」と「約束された場所で」は引き継がれている(というか、動機になっている。)

その頃は関連して他の作品も読み続けていきたいと思っていた。今、「風の歌を聴け」に出てくるメンターのデレク・ハートフィールドが 唯一認める小説として挙げている「ジャン・クリストフ」を再読している。

高校2年の時一度読み通してはいるはずなのに、今回読み直してみてほとんど覚えていなかった。(読んではいなかったということ?)

ロマンロランは固有名詞にならない「流れ」や面影といった不確かなものや音楽表現がうまいと思いながら読んでいる。

例えば以下のように。

音楽家の心にとっては、すべてが音楽である。震れ揺らぎはためくすべてのもの、照りわたった夏の日、風の吹く夜、流れる光、星の閃めき、暴風雨、小鳥の歌、虫の羽音、樹々の静寂の中に動脈を膨らます血液の音_____すべて存在するものは音楽である。問題はそれを聞くと言うことにのみにある。存在するもののかかる音楽は、ことごとくクリストフのうちに鳴り響いていた。彼が見るものすべて、彼が感ずるものすべて、音楽に変わっていた。彼はあたかも騒々しい蜂の巣のようであった。しかし誰もそれに気づかなかった。彼自身も気づかなかった。

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