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English nerd

英語を学習する時に、よくトレーニングという言葉が使われる。定年退職後の初期高齢者にとって、トレーニングという言葉を聞いただけでうんざりしてしまう。ちょっと勘弁してという気持ちがする。だったら何がいいかと考えて、「馴染む」がいいと閃いた。becoming familiar with だ。徐々に慣れてくる感覚で、英語が勉強できればいい、それがお年寄りにもできるやり方だ。世の中特にネット上では若者中心に回っているから、時間の使い方がタイトで優雅ではない。暇を英語学習にでも当ててみるかぐらいの、高齢者にはマイペースで学習するために多くの英語学習法をカスタマイズする必要がある。それを今日思いついただけでも良しとしよう。

本の種類がこれまでの小説だけから、英語の参考書が加わったことで高校生の時のような学習熱も湧いてくるようになった。ただ楽しみのためだけの英語学習は、取り立てて目的があるわけではなく、英語に関することを知ること自体が楽しい。この感覚は大切にしたいと思う。ほんの少しづつの蓄積されていく知識に対する純粋な愛着がその感覚だとしたら、素晴らしいことに違いない。趣味こそ無為な日常から救い出してくれる知恵だからだ。あるいは英語オタク(English nerd)と言った方が当たっているかもしれない。しかしまだその域にはいっていないだろう。オタクほどの詳しさにはまだ程遠い。

第二の人生を「英語人格としての自分の人生を構築する」ということにしたいと思う。日本人である自分が第二の人生を根本的に作るには、人格そのものを英語によって構築するのがいいと考えた。それがはっきりと第一と第二を分けることになるとラディカルに考えたわけだ。この無謀と思える思いつきを実現するには、確かな方法が必要になる。これまで英語学習の本をいくつか読んできたが、これからは自覚的に方法を選んで試行錯誤を繰り返して、自分の方法にしていかなければならないと思う。具体的な実践方法はまだ確かなものを見出せてないが、考え方として確かなのは、英語ネイティブの思考法丸ごとを自分に注入することだ。中学の受験科目としての英語を教えられてしまって、英語を日本語に置き換えることが英語学習と思い込んでいた。逆に日本語を英語に置き換えることは英作文という課目に落とし込められていた。英語と日本語の根本的な違いや、英語らしい表現や日本語らしい美しい自然な言い回しなどは、受験英語からは回りくどい余分な学習のように考えられていた。英語学習は優れて「構築的な」方法が求められる学習課目だと思う。言葉は人格を作る。書いた文章を読めばその人の人柄がわかる。話してる言い回しや単語で、御里が知れる。それほど言葉と人格は結びついているわけだ。だから英語を学ぶことは英語人格を手に入れることに等しい。

ぼくが翻訳に興味を持ち出したのは、村上春樹の翻訳に対するリスペクトが並々ならぬほどだった事に素朴な疑問を持ったことからだった。趣味だとも言っていた。小説だけ書いていれば小説家としてやっていけるのに、自ら翻訳を手がけアメリカの未公開の小説をどんどん紹介している。もちろん自分の小説のリソースにするつもりもあるのだろうと思うが、それ以上に翻訳を通して、深く時代と人間の共通理解が進んでいくのを実感しているのではないかと感じる。翻訳とはある言語をもう一つの言語に訳すことではない。英語と日本語で言えば、英文和訳と英文翻訳とは全然違うとは言わないまでも、一つ次元が違う行為になる。翻訳された日本語は、ネイティブの日本語になっていなければならないからだ。だから翻訳された小説を読む場合、言語文化圏の違いを超えて小説の中に生きることになる。但し優れた、オーソドックスな日本人らしい翻訳家の文章によってではあるが。そのことを鴻巣友実子と彼女から紹介された野崎歓のエッセイを読んで学んでいる。それが自分をどんどん変えていくようで、楽しい。つまり、ハマっている。

今日、鴻巣友季子の「翻訳教室」(ちくまプリマー新書)を読む。The Missing Pieceという英語の絵本をテキストに使って、世田谷区立赤堤小学校6年2組の生徒に翻訳教室を開いた時の様子が実況放送のように記されていた。実際それはNHKの「ようこそ先輩 課外授業」という番組をまとめたものだった。まだ英語の授業が5年生から始まったばかりの生徒にいきなり辞書を渡して翻訳させるのだが、グループに別れた生徒たちは最後には奇跡のようにプロも顔負けの翻訳を発表するのだった。まさにアドバイザー役に徹したディスカッション型指導が、翻訳家鴻巣友季子のもとで展開された。 

選んだテキストそのものが翻訳という行為の本質を子供にも悟らせるものだったし、導入部で行われた翻訳で大切なことの講義も分かりやすく、講義形式でも素晴らしかった。それは小学6年生の頭に染み透るように入ったことが、発表の時にわかったからだ。The Missing Pieceとは自分に欠けた部分にぴったりハマる、「丸」の自分探しの旅みたいな内容の絵本だ。そしてハマることが翻訳のエッセンスであることがわかるしかけになっている。

ぼくは鴻巣友季子を「ヘミングウェイで学ぶ英文法2」の表紙の帯で知った。そこには「代名詞が過去を暗示し、比較級が消えた情景を呼び起こす。倒置構文が生と死を語り、助動詞が時を巻き戻す。文法学習とはなんとスリリングな文学の冒険だろう」と書かれてあった。このように英文法を形容する言葉に虜になってしまった。只者ではないという感覚。この人の本ならなんでも読んでみたいと思い、速攻で泉野図書館から借りてきて読んだ。そして翻訳が精読であるという村上春樹以来の理解と重なり、これから翻訳にハマって行きそうな予感に浸っている。

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