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気力が湧かないので、植物を育てることにしたはなし。

なんだか生きる気力が湧かない毎日が続いていた。
気力が湧かないというと、
まるで以前は気力の湧く泉があったかのような言い方だけれど、
そもそも自分にそういった面があったかすら、よく分からなくなっている。

高校を卒業して、早一年が経ち、社会の海にどぷりと投げ入れられた私は、やはり心身共に疲れていたのだと思う。

深い海に溺れそうになりながら遠くを見ると、蜃気楼が見える。
それも美しいものではなく、鬱々とした未来の姿をしていた。
振り返れば、立たされていた砂浜は消えてしまっていて、
自分の進むべき先がもう全く分からなくなっていたのだ。

しかし、生活は容赦なく続く。
明日のことは、今日考えないといけない。
偉い人はよく、
「明日死ぬかもしれないと思って生きなさい」
なんて言うけれど、
本当に明日、自分がこの世からいなくなってしまうとするなら、
私は有り金を全て使ってしまうだろうし、1日中何もせずに過ごすと思う。
けれども、本当に明日が来ない確率は極めて低い。
夜が明ければ、まあ、おおよその場合には朝が来るのだった。

つつがなく続く日常は、かえって焦りを感じさせて、
また焦りは間違った行動か無気力を生む。

私の場合は、後者だった。

しかし、このままでいたって前進するはずがなく、
なんとかせざるを得ないと考えた私は、植物を育ててみることにした。

唐突に植物を育て出したと言われれば、
もはや現実逃避を始めたのだと思われても仕方がないだろう。

ところが、私は植物をうまく育てられた試しが、この人生で一度もない。
つまり、「植物を育てる」という行動自体が私に容赦なく現実を突きつける。

小学校の夏の自由研究で育てた朝顔は、長い休みが終わる頃には花もつけずに枯れてしまっていたし、
どこかの花屋で購入したサボテンの鉢植えは、部屋の隅で無残な姿をしていた。

「植物なんて、どうせ枯らすのが関の山だ」

と思い、今まで諦めてきた。
諦めてきたからこそ、なんだか挑戦したくなったのだ。

(疲れてくると、よく考えもせず突飛な行動をするクセがある)

そこで、近所のホームセンターでプランターと土と種を買ってくることにした。
種として選んだのは、バジルだ。
なんとなく育てやすそうだし、それに「食べられる」というキャッシュバック的な未来に期待、なんて、安直な理由で。

ベランダの窓を開けて、プランターに袋から出した土を移し入れる。
硬く詰めすぎると種が息苦しそうだから、柔らかく優しく。
そこにバジルの小さな粒を、丁寧に埋めていった。

こうして、準備は完了。
あとは毎日、水をやってあげないといけない。

私が植物を育てるのに、1番苦戦するのが、
この「水をあげる」という作業だ。
単純な作業ではあるものの、
そもそも「毎日やらなきゃいけない」こと自体がからっきしダメだった。

しかし、自分でやると決めたのだから、育てきらないといけない。
私にとっての一大プロジェクトが始まったのだった。

さて、種を植えてから1週間が経つと、待望の芽が生えてきていた。
可愛らしい双葉がピョコンと顔を出して、まるでこちらを見上げているよう。
正直、開始3日くらいで水あげが面倒になっていたが、我慢して続けていた。
だから、なおさら嬉しくて、また次の日からも水をあげた。

さらに3週間が経過すると、大きくなってきた葉っぱが、スーパーに売っている、あのバジルの柔らかい感触の面影を見せてきた。
「よし、いいぞ」と思い、もっと日当たりの良い場所に連れて行ってやった。このころから、曇り空が続くと、ちゃんと育つのか心がざわつくようになった。

そして、1ヶ月を過ぎると、
なんと私の育てたバジルがもう食べられるだけの大きさに成長していた。
香りも、まさにバジルのそれで、思わず微笑んだ。

植物を育てきる、という経験は、記憶があるうちでは初めてだった。

どうせ無理だと諦めていたことが、一つ叶ったのだ。

そして、気づかぬうちに、
失っていた気力さえ、少しずつ取り戻していたように感じる。

「明日、水をあげないといけない」という使命と、
「少しずつ育つ」という目に見えた成長が、心を癒やしていたのだ。

植物を育てるということは、
明日と約束を交わすことだと思う。

私が水をあげないと枯れてしまうなら、
私は明日もどうにか生き続けなければならない。

そして、明日を生きることを繰り返せば、必ず芽は出るのだと知った。
今では、水をあげることすら、楽しみな習慣になっている。

バジルは育ち切ってしまったから、
次はパクチーとケールの種を買ってきた。

これからも細々と水やりを続けていきたい。

(了)

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最後まで読んで下さって、ありがとうございます。
ちなみにですが、バジルは、トマトとモッツァレラチーズを合わせてカプレーゼにして食べました。
そんなに香りは良くなかったものの、育てた分、食べられることが救いです。笑

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