乱読読書日記⑥岸見一郎「本をどう読むか 幸せになる読書術」
前回の日記からかなり時間が空いてしまった。
コンビニアイスでも本の作者さんでも、一度すきになったらとことんリピートしてしまう人間です。
そんなわけでまた岸見一郎さんです。
「嫌われる勇気」が面白かったので読んでみた。
作者さんは哲学の研究者だ。哲学の研究というのは何をするのかこれまで知らなかったが、どうやらこれまでの哲学者の言葉について解釈や動向をまとめる→自分の解釈をまとめる、というような感じらしい。
つまり読書に関してはプロの方だ。
本書ではそんな作者さんのこれまでの極暑遍歴や、膨大な量を読書していく中での作者さんの気づきなどがエッセイのように書かれている。他の著書よりも作者さんを近くに感じられて面白かった。
臆することなく難しい本もなんでも読んでみなさい。そして読むこと、知ることを楽しみなさい、という旨が全体を通して作者さんの優しくて理知的な文章で綴られている。
その中でも特に印象的だった箇所を抜粋する。
たとえばどうやって読む本を選ぶか、というところ。
作者さんは偶然でも、普段読まないものであっても幅広く読むことを勧められている。
自分の興味、関心に合致する本だけでなく、時に自分では読まない本を読んだときにその本から学ぶことが多いということはあります。
自分が賛成し納得できることばかりが書いてある本を読んでいると、日常の生活においても異論に対して不寛容になります。
コンビニアイスでも本の著者さんでも一度気に入った人をリピートしまくる私にとってこれは刺さった。知らない著者さんのものに手を出して失敗するくらいなら好きな著者さんの本をとことん読みまくりたいと思っていたけど、普段読まない本も読んでいこうと思った。
ちなみにこの本はこの一節に影響を受けて普段読まない感じのを読んでみた記録だ。
普段読まない本を読むきっかけとして、人にお勧めしてもらうというのも良い方法として紹介されている。
アドラーは
相手の関心に関心を持つ
ことが、相手を尊敬するために必要だと述べている。その手段の一つとして、相手の好きな本を読んで見るというのは相手とより深い関係になるために有用だろう。
私はスポーツには全く興味がなかったが、NBAが大好きな夫の影響でコービー・ブライアントの「THE MAMBA MENTALITY 」を読んでみた。
バスケのルールはあまり知らないが、そのストイックさと精神力の強さ、自分がこれと決めたことを淡々と続ける姿勢には心を打たれた。
出会えて良かった本だと思ったし、夫の(アドラーが述べる意味での)ライフスタイルの一要素を垣間見た気がした。(この本の読書日記もゆくゆく書いていきたい。)
また、読書を進めていく上でいくつか「こうでないといけない」というルールが自分の中でできてしまうことがある。
「たくさん読まないといけない」とか、「同時に読む本は一冊」とか。
本書ではそんなことは考えず色々な読み方があっていい、とにかく楽しめばいい、と言ってくれている。
結論だけを理解してもあまり意味はありません。読書は生きることと同じであって、目的地に着くことが目的ではありません。生きることの目的地が死であるなら、いち早く死ねばいいかというと、もちろんそんなことはありません。どこにも到着しなくて良いのです。途中で休むこともできますし、途中でその旅をやめることも可能です。とにかく、過程を楽しまなければ読書は意味がありません。
たくさんの本を同時に読むことは読み続けるために有用でしたが、それだけではなく、専門にとらわれず幅広いジャンルの本を読むと視野が広くなります。
加えて、読書とは本来作者との対話であり、ただただ作者の言うことをうんうんと聞く(追随的読書)だけでなく作者の言うことに「ほんとか?」「これは何を言おうとしているんだろう」と考えながら読む(批判的読書)ことでより理解が深まるとも述べられている。
読書には、追随的読書、批判的読書、創造的読書があります。
難しい。問題を考えるのは与えられた問題を解くことの10倍難しい。
作者が何を言わんとしているか理解し、その上で自分の意見を出すというのはさらさら読んでいるときの20倍くらい頭と集中力を使わないといけない。心がけていきたい。
それと、これは他の著書でも何度も話されており、特に私に刺さったものなのだが、アドラーは
不完全である勇気
を持たなければいけないと言っている。この不完全というのは、永久的な欠落ではなく、
新たに手がけたことについての知識や技術についての「不完全」
を指している。
これまでの人生で長く何かをやり続けて来た人は、ある領域では自分が優れていると思っていたでしょうが、新しいことをすれば、たちまち何もできない自分と向き合わないわけにはいきません。何かを学ぶ時だけでなく、自分が不完全であることを受け入れることができる人は、自分の価値を理想からの減点法でなく、現実をゼロとして、加算法で見ることができます。加齢とともにあれもこれもできなくなったとしても、そのことを嘆くこともなく、自分の価値を何かができることに見出すこともなくなります。
大学院生だった頃の指導教官は、「これまで積み重ねてきたノウハウ、知識、それを全て捨てられる勇気とフットワークは常に持っていたい」と言っていた。
所属研究室の前教授は、退官後文学部哲学科に入学し直していた。
そういう、自分が何も知らないことを受け入れて、それを楽しんで、加算で見ることのできる人、もっと大きな意味で言えば「知ることを楽しむ」ことができる人になりたい。
私は新卒で全く専門外の仕事に就職し、先輩たちの膨大な知識量に圧倒された挙句、勝手に劣等コンプレックスで心を病んでしまった。
まだ完治したわけではないが、全部に興味を持って学んで、今知識を吸収していくこの過程を楽しんでいきたい。
読書だけでなく、何かを学ぶ姿勢や何かを始める際の0→1のフェーズの向き合い方などでも参考になる本だった。定期的に読み返したい本の一つだ。
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