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英語が出来ない大学院生、初めての海外出張のはなし。①【何故か一人】

タイトルには大学院生と書いたが、大学4年の12月の話なので正確に言うと大学生だ。
当時の私はそれは海外旅行なんてツアーでしか行ったことがなく、英語はほとんど話せないゆとり学生だった。(TOEIC400点程度)
そんなダメ学生だが、色々不幸な事情が重なりスイス、フランス、イタリアへ1人で2週間出張へ行くことになった話をさせていただきたい。
これまでの人生ベスト10に入るくらいしんどかったが、その分大切な思い出だ。
長い出張だったので、記事をいくつかに分けようと思う。

ことの経緯


4年生の終わり頃、同研究室の研究グループがCERNでのマシンタイム(ここからこの時間照射していいですよ、という時間のことです。)をゲットした。

CERNとは欧州原子核研究機構の略であり、スイス ジュネーブとフランス サンジュニの国境を渡って存在している世界一大規模な加速器施設だ。

せっかくなので他にやりたいことのある人は一緒に照射実験をしましょう、と研究室内で参加者を募られた。

元々私の研究では国内の加速器施設で実験をしていたが、CERNの加速器が使えるとなるとかなり幅広いデータが取れることになる、やりたい…。

ということで、指導教官Aさんに相談したところ「滅多にない機会だし、いいデータがとれるね。行こうか。」と快く承諾してくれた。

私の大学では学部生の単独海外出張は原則認められていない。
元々研究グループの他のプロジェクトでイタリアに行く用事もあり、この時はAさんも一緒に行く予定だったのだが、なんと出発2週間前ほどになってAさんに急遽別の仕事が入ってしまった。

詰んだ。もう今年は諦めるしかないな…、と思っていると、
Aさんが信じられないことを言い出した。
「しょうがないな…。俺後から行くから一人で行って照射してきて。」


…?

…!?

まじで。

理系研究室と言えば白衣を着た大人しいインドアっぽい人しかいないようなイメージがあるが、実験系の研究室は体育会系なところが多い。

Hotaru.「私英語話せないんですけど…」
Aさん「必要に迫られたら話せるよ。大丈夫大丈夫」
Hotaru.「学部生の単独海外出張って出来るんですか?」
Aさん「俺が一筆書いたげるよ。22にもなって海外行っただけで死ぬようなやつは23でも24でも死ぬよ。そして人はそんな簡単に死なない。」

ぱぱっとAさんが15分くらいで書いた「この学生の海外出張の一切の責任はAがとります。」的な申請書を握りしめて恐る恐る事務へ行くと、あろうことか海外出張承認がおりてしまった。

普段はなかなか承認なんか出してくれないのにちくしょう…。
このA4の紙切れ1枚がいざとなったときに守ってくれるわけでもあるまい。
と、半分言い出したことを少し後悔しながら出張準備を始めた。

CERN 登録と宿予約


CERNへ入構するためにはこの実験のこのメンバーですよ、という会員証、さらにビームラインへ入る為には被曝放射線量を測定するバッチが必要だ。
さらに、5日程度滞在するためCERN内の宿舎を予約しなければいけない。

手続きは担当者にメールで行うが、もちろん英語だ。
Google翻訳にお世話になりながら何とかメールを打ち、学部長のハンコをもらい、また送り返すという手続きが必要になる。
私の場合学部生単独ということがあり、大量のはんこを集めなければいけなかったのでさらに手間がかかった。
基本的に自分のことは自分で、というスタンスの研究室だったので、泣きそうになりながら調べてメールしてお願いして…を繰り返した。
そして、いまいち正しく伝わっているか不安なまま何とか宿予約とメンバー登録の申請をとりつけた。

この詰めの甘い登録のせいで後々痛い目を見るのだが、それはまた別の記事で。

実験準備と旅行準備

それと並行して実験計画を立てて、実験器具を準備して、サンプルを準備をする。

研究室のお金をかけてもらって実験に行くのだ。
失敗は許されない。
必要なサンプル数の3倍以上のサンプルを準備した。

また、パスポートをとりにいって、2週間分の服やら旅行道具の準備もしなければならなかった。
あまりにも時間がなかったので、研究室で朝まで実験準備をしてそのまま徹夜でパスポートをとりにいった。
今もそのパスポートを使っているが、寝不足と顔のむくみでパチ屋にいそうなおじさんのような仕上がりの写真になってしまった。

また、スーツケースの3/4程度は実験器具で埋まる予定だったので、自分のものは最小限にしなければいけない。
服は3セットくらいで、代わりに小分けの洗剤を多めに持っていくことにした。

フライト

何とかギリギリ準備が終わり、ぼろぼろの状態でフライト当日研究室へ向かった。
フライトは夜。
大急ぎで付近の地図、交通情報、必要な書類を印刷し、実験器具でアホみたいに重くなったスーツケースを準備して8割言い出したことを後悔していた。

そのとき、研究室の研究員さん(Bさんとします。)が
「空港まで送って行ってあげるよ、俺前回の出張の外貨両替したいし」
と言ってくれた。

大学から空港までは電車で1時間半程度、車でも1時間と少し程かかる。
わざわざレートの悪い空港で両替するのが目的でないことは明らかだった。

Bさんは私がこれまで会った中で一番変な人だが、これまで会った中で1番優しい人だと断言出来る人だ。
不安で泣きそうになっていた私を放っておけなかったんだろう。

重たいスーツケースを持って、Bさんの車で空港へ向かった。
道中はBさんが「すごくいい経験だと思うよ。楽しみだね。」とか
「きっとたくさんのことを学べるよ。」
とか、何とか不安をなくそうとしてくれた。
これがなかったらきっと心が折れていた。
改めてBさん本当にありがとう。

空港に着いて、まだまだ不安そうな私を見てBさんが夕食に誘ってくれた。
食事中
Bさん「そういえば、それぞれの国のコンセントの変換器もった?」

変換器…?

海外旅行の経験がほとんどなく、準備に忙殺されていたアホな私は変換器が必要なことすら気づいていなかった。
あのまま行っていたら1番大事なパソコンの充電が死ぬ。
急いでBさんと一緒に必要な変換器を買った。

危機一髪。先が思いやられるアホさ。

出国検査

私が今回の出張で特に不安だった点の一つが、出国審査だ。

私の使用していた検出器は積分型で、受けた放射線シグナルを全て記録してしまう。

つまり、出国検査のX線も記録してしまうのだ。かなりエネルギーが低いのでほとんど感度を持たないだろうし、フライト中の宇宙線も考慮して鉛板でシールドしていたが、出来るだけノイズは減らしたい。

何とかX線検査なしに出国したい…!

何もやましいことはないのに異常にドキドキしながら検査の人へお願いした。

「あの…これ、素粒子の検出器なんですけど、X線が当たるとノイズに乗ってしまって…あの…それで、何とかX線当てないことはできませんか…?」

ちなみに私はコミュ障な上説明がへたくそだ。

ばっちりX線当てられた。


そんなこんなで、2週間の出張が始まった。

まずはフランス、シャルルドゴール空港まで。

そこからジュネーヴ空港へ向かう。

しょっぱなから不安である。


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