息子の少年野球で、未熟者の私が学んだこと⑫

主な登場人物はこちらから。

親子大会が終わり、少ししたところで、飲み会があった。
いつだったのかはっきり覚えていなかったのだが、美智子と二人固まって、コーチが持ってきたボジョレーヌーボーを飲んだことを今思い出した。
11月だった。

低学年チームだけの、公民館の一室で行われた小さな会合。
役員の京子と恵美子が取り仕切りっていた。
席は団員、監督・コーチ・パパコーチ、母親の山ではっきり分けられていた。
それはつまり、子ども、男、女
また田舎の正月を思い出していた。
京子と恵美子は酒は飲まず、男衆のお茶出しならぬ酒出し。
他の母親達には「いいから飲んでて」と言うが、自分たちはノンアル。
本家の嫁に気を使いながら従う分家の嫁になった気分だった。
それでも、これもまぁ仕方ないのかなと思っていたし、男性陣も過剰にこちらに何か要求してくることもなくそれぞれ楽しんでいたので、無難に時は過ぎた。
ただ、またしてもモヤッとすることがあった。
監督が挨拶で、親子大会での母親MVPを発表すると言った。
「どう考えても私だろう」と鼻息を荒くしていたが、それは優愛だった。
関西人の監督は、声高々に「フライ取ったから!」と満面の笑みだった。
褒美に搾りたて生醤油を手渡された、チームで母親最年少の優愛。
笑顔だった。
ダサくてもちっちゃくても、「なんでダンナも車出ししないパパコーチでもない、チームに貢献してない家族が・・・。ネタかよ。おもしろくねーよ」と、心の中で堂々と呟いていたと思う。

終盤では、それを忘れる出来事もあった。
ザギトワの夫が遅れて参加してきた。
私と同い年のザギトワ夫婦。
某スポーツの元プロ選手で、今でもそれに携わっているなんて、素直にカッコイイと思っていた。
実は私の昔の友人にも、ユースでプロチームに所属していた人がいたので、ザギトワ夫にその話しをしてみたら、なんと繋がりがあった。
同じチームでプレーしていたと!
この日一番の盛り上がりだった。
昔隣に住んでいた友人と、今目の前にいる元プロ選手がチームメイトだった。
凄すぎる!!
ザギトワも「AHちゃん、野球界に〇〇界にすごいね!」と興奮していた。
ちなみに私の友人はライセンスを持って、会社に所属し、教室で子ども達にそのスポーツを教える仕事をしていた。
少年野球もそのような環境が整えば良いのにと思う。

チームを辞めてからは、ザギトワとは疎遠になってしまった。
でも、目鼻立ちがはっきりし、抜群に可愛いので、学校行事の時は遠くからでもすぐわかった。
辞めた本当の理由もきちんと話していないので、いつかまた会えれば・・・と思っている。

12月になり、次はチーム全体での親子で試合してカレーを食べる行事があった。
その略してカレー会は、6年生の母親が取り仕切ることになっていた。
ラッキーなことにこの会は、次男の幼稚園の行事と被り、欠席することができた。
心底ホッとしたことは記憶に新しい。
今でも覚えている、行事を知らせるメールの文言。
「カレーは6年生のお母さん方が前日に作ってくださいます」
これだけを見れば何の変哲もないが、要は上級生の母親にへりくだれと言っているように見えた。
参加した人からの後日談も、元ソフト部の母親が飛ばして・・・とか、経験者の力比べ大会のようだった。
ちょっと自分は参加してないのでうまく伝えられないが、子どものためではなく大人のための大会なのかなと思った。

そして年明けに、私達低学年チームの母親主体の餅つき大会が待っていた。
私はこの大会を通して、退団することを決めた。


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