息子の少年野球で、未熟者の私が学んだこと⑪

主な登場人物はこちらから。

半ば強制的に出場することになった通称・親子大会。
低学年の試合なので、ピッチャーはトスマシーン。
当然自宅にはトスマシーンなどないので、ぶっつけ本番だった。
いや、他の人は子ども達と一緒にグラウンドで練習していたかもしれないので、私に限っては。
改めてその時の集合写真を見たが、チームの親Tシャツを着ている人もいれば、そうでない人もいる。
試合以外の練習日でもそれを着てくる人もいれば、「ダサイ」と極力着ない人もいた。
私は後者だった。

ただの親子で仲良く野球しましょう的なイベントだとしても、試合は試合なので、緊張していた。
数年に一度にストレス発散のためにバッティングセンターに行くことはあったが、打って走っての野球をするのは高校時代の体育祭以来だった。
出るからには勝ちたいし、長男にいいところを見せたいと思った。
その頃長男は、野球を始めたばかりで周りに遠慮しながらプレーしているようで、見ていてもどかしかった。
殻を破る良いチャンスなのでは、とも思った。

2試合あり、1試合目に出る母親は、
私、優愛、梨花だった。
やる気があるのかないのか、梨花はロングスカートだった。
2人とも運動神経に自信がないとのことだった。

2試合目は、
京子、由樹、1つ下の学年の子の母・多江だった。

母親3人以外は、その子ども達と、母が来てない子ども達で打順が組まれた。

結果は、勝った。
母親では私だけ3打数3安打だった。
久しぶりにダイアモンドを駆け巡り、気分爽快だった。
大人からも子どもからも大声援を浴び、照れもあったが、気持ちよかった。

もう一人活躍した人がいた。
優愛はフライをキャッチした。
たまたま立っていたところにボールが落ちてきて、抱きかかえていたグローブにスポッとハマった。
たまたまでも、フライを取るのは難しいので、拍手を浴びていた。

2試合目は勝ったか負けたか忘れたが、打って出塁した母親はいなかった。

その時から10年くらい前に、甲子園に出場した友達とバッティングセンターに行ったことを思い出していた。
その彼は、私の中ではバッティングセンターで一番飛ばしていた人。
去年、彼の仕事の後輩にその話しをしたら、
「当たり前ですよ」と笑われた。
甲子園に出場し、大学まで野球をやる人はその辺の素人とは違うのだ。
そんな私は、その時全く打てず、彼が打ちやすいようにボールを投げてくれて、そのボールを飛ばして喜んだ記憶がある。
素人の私が打ちやすいボールを一瞬で考えて、手元まで投げてくれる。
人にも寄ると思うが、一流の人は教え方がうまいと思った。

試合の合間の休憩中は、母親達はせっせと男たちの給仕に変わっていった。
全員に味噌汁やコーヒーを出したあとに、恵美子に、
「はい、ママたちも」と、
コーヒーを渡され、男たちから離れた球場の隅っこの地べたに座り、輪になって飲んだ。
まるで田舎の正月のようだった。

「なんでこんなに野球がヘタな人間に下手に出て従わなければいけないんだ」

試合の後、打って走ってスッキリしたはずの心に、またモヤモヤが復活していた。

息子の少年野球で、未熟者の私が学んだこと⑫|AH (note.com)

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