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Episode 81 敷かれるくらいでいいのです。

ハッキリ言って、私はパートナーの尻に敷かれています。
あ、決して「恐妻家」ってわけじゃないですよ。
パートナーを恐れているってこともないし、頭が上がらないってこともありません。
でも、日々の生活は基本的に彼女の手の中です。

共稼ぎなので、家事の負担は基本的に公平です。
もちろん、好き嫌いや得意不得意があるので、なんとなくの棲み分けはあります。
もしも同じタイミングで「洗濯物を干す」と「食事の後片付け」が発生したら、確実に洗濯物がパートナーで片付けが私になります。
でも、だからといって家事の分担を個人に割り当てているようなことはありません。
出来る人が出来ることをやるっていうのが家のスタイルです。
そのスタイルを決めているのはパートナーで、その流れに乗っているのが私って感じですかね。

もうしばらくこのスタイルでやっているので今さら変える気はありませんが、よくこのスタイルにたどり着いたな…と思うことがあります。
時間割を決めて予定調和を保つことで生活している私にとって、その場の流れで作業を決めるってことはなかなか難しいことなのです。
もし、私が主導権を持って家のことを管理していたなら、「私がこれをやっているうちに、パートナーがそれを終わらせるから、そしたらああしてこうして…」って、イロイロと先回りして段取りを決めて、作業を家族に押し付ける感じだっただろうと思います。

正直なところ、もしも私のスタイルを家庭に持ち込んだら…かなり大変だったと思います。
家事は仕事じゃないのに家庭に仕事の考え方を持ち込めば、家族が家族ではなくて上司部下や同僚みたいな関係になってしまいます。
もちろん家事労働を労働として認めないって言っているわけではありません。
仕事としての労働と、家事労働を同じ物差しで同じように測ってはいけないって話です。

仕事で遅くなれば、絶対やらなければならないもの以外を端折ることは普通にあります。
私はそこの判断が苦手なのですが、その辺はパートナーが上手にバランスを取っていたりします。

よくよく考えると、こんな風にパートナーに主導権を預けるスタイルになったのは、私の「惚れた弱み」が原因だったんだろうな…と思います。
「大好きな彼女には、いつもご機嫌で笑顔でいてほしい…些細なことでケンカしたくないので、私の方が引いておく」って感じの付き合い方だったのです。
結果として、これがお互いの関係を良くしたのだろうと思うのです。

予定調和でガッチガチの私が、そこを捻じ曲げてでも彼女を取った…ってことでしょう。
ぶっちゃけた話、予定調和しない不安感より彼女の笑顔の方が勝った…ってことでしょう。

「彼女がそう言うんだから、しょうがないな。」
パートナーが相手だとそう思ってしまうんです。

彼女以外で「相手に合わせる」って考えることは、今でもかなり難しい…予定調和とズレるストレスを感じずに過ごせる相手はパートナーだけなのです。

敷かれるくらいでちょうど良い。
家が円満である秘訣は、こんなことなのかもしれません。

旧ブログ アーカイブ 2018/12/4

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