見出し画像

多数派研究も必要てす。

3月27日の夜、公開版「自閉文化を語る会」が開催されました。
毎月1回クローズのスタイルで行われているこの座談会ですが、3の倍数の月は公開版と言うことで、X (旧Twitter) のスペース機能を使ってオープンに公開されるのです。
基本的に年4回開催される公開版…今回はその1回目、「2024年冬春シーズンの会」ということです。

毎回テーマを決めて対話をしていくのですが、今回のテーマは「(自閉文化者は)『抽象的コミュニケーションが苦手』は本当か?」…という内容だったのです。

録音は、上に掲げたポストの埋め込みリンクからジャンプできるので、機会があれば、ぜひ聴いてみてほしいと思うのです。
今回は、その「自閉文化を語る会」から私が思ったことです。

今回もいろいろなハナシが出てきたのですが、私個人として一番面白かったのは、「二重共感問題 (Double Empathy Problem)」を扱ったあたり…でしょうか。
(コレを扱った私の発言は、録音の28分30秒付近から、二重共感問題についてのマコト (@macoto_1) さんによる解説は1時間7分付近から)

要するに、Autistic (自閉の民) な私の感覚と、NeuroTypical (定型多数派の民) なあなたの感覚が異なるから、感覚的で抽象的な表現を「お互いに」理解できないことが起こる、それ故に具体に落とし込むことが必要になるだろう…ということです。

少し前に、Autistic と NeuroTypical の差について、パソコンのOSを例にしてハナシをしました。
その時にも指摘したのですが、多数派の数の理論による優位を盾に、問題な修正を少数派のみに押し付けるようなことが起こると、本来両サイドに発生しているハズの「二重共感問題」が、少数派の障害という問題に置き換わる…ということが起こるワケです。

基本的な互換性向上策は、シェアが低い方が高い方の仕組みで動くように調整する方が簡単なのね。
だからどうしてもOS Xで動くAutistic な私が、Windowsの世界に馴染むようになりがち…ただし、それはあくまでも全体像の問題。

note記事「多数派の変化が必要です。」より

この「二重共感」の問題をスペースの録音の中で端的に表現しているのは、村中 (@naoto_muranaka) 先生がいただいたコメントから拾い上げた…

正しいことに何の意味があるの?

…に凝縮されていると感じます。
(録音の1時間35分付近)

コメントには前後の背景への言及がありませんから、切り取られた言葉から感じた印象しかわかりませんが、私はこのコメントから「思考の重心が異なることに対する行き違いを、多数派の理論で押さえる感覚を感じるワケです。

こう考えた時、Autistic が自らの Autism 資質の分析をすることは、内省として重要な意味を持つ一方で、NeuroTypical の感覚を普通という「多数派の特権」で研究対象から除外することへの意見があっても良い気がします。

私は多数派の感覚を批判しようとしているのではありません。
Autistic が自分の感覚と向き合うことになるのと同じように、NeuroTypical の皆さんも、自分の感覚と向き合い、Autistic との相対的な関係性を考えると、「ダイバーシティ」という思想の目指すところが見えてくるように思うのです。

そもそもに於いて、「ダイバーシティ」とは定型と呼ばれる普通とは違う「定型以外」を容認する…ではなくて、定型だろが非定型であろうが同じように尊重することですからね、非定型である Autistic な私が「私の考え方」を丁寧に伝えようとするとの同じように、NeuroTypical なあなたも「普通」を盾にすることなく「あなたの考え方」を丁寧に伝えようとする必要がある…と思うのです。

今回の公開版「自閉文化を語る会」も、大変意義深く楽しい2時間でした。
こういう気付きのあるセッションが、数多くあると良いな…と、私は思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?