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Episode 622 埋もれる自閉があるのです。

録音された Twitter のスペースやツイキャス(TwitCasting)をBluetooth経由でカーステレオのスピーカーで流すことを覚えた私は、ちょっと興味のある話題のスペースを車内に流しながら勤務先との往復時間を楽しむようになります。
いつもはイライラしがちなバイパスの渋滞も、あまり気にならなくなったのは、スペースの内容が程よく興味を引くからなのでしょう。

そういえば昔、高校生のころはウォークマンを学生服の内ポケットに忍ばせて音楽を聴きながら通学していたけれど、それに飽きた私は「旺文社『大学受験ラジオ講座(ラ講)」を聞きながら自転車をかっ飛ばしていたっけ…。
今どき「ラ講」なんて言っても誰も知らないでしょうに、ブラームス作曲の「大学祝典序曲」とともに深夜帯で流れるAM文化放送の受験生向けの番組…私が高校3年生、昭和63年(1988年)頃のハナシです。
ウォークマンの中身はカセットテープで、ヘッドフォンで自転車なんて今では当然許されないことが普通にできたあの頃から、私の聴くことへの姿勢はあまり変わっていないのかも知れません。

数日前のハナシ、いつものようにスペースをカーステレオで流しながらクルマを走らせていて、ふと不思議を感じたことがあったのですよ。

録音された公開版 #自閉文化を語る会 の前半部分を聞いて、スピーカーの皆さんが子ども時代からそれぞれに何かしら「普通」「みんな」に対しての違和感を感じていたようなことに驚いている。

私は私の過去を振り返って、明らかにASD特性を多く含む子どもだったと理解しているのですが、録音されたスペースのスピーカーの皆さまはそうではないらしい…。
「え?…みんな、自分の納得感を持てずに『なんで』と思いながら子ども時代を生きてきたの?」

何回も引用してしまう、このあずさ(@41azusayumi)さんのこの記事で書かれている通り、私には「上の人が言うことには筋の通った理由があり、問答無用で従うのが正しい」という私自身のルールが既にあり、言われたことにいちいち理由を求めなかったのですよ。
そこには「言いつけを守らなかったことで起きた事故」による痛みを経験することで得た「強い納得感」が既にあったワケです。
これをTwitterの相互さんであるレイ(@wagonthe3rd)さんは「良い子ASD」と表現してくださいました。
その通りだと思います。

ところで私はASDですからね、定型と呼ばれる子どもたちが「普通」に獲得していく「心の理論」を上手く獲得できないワケですよ。
その獲得できない「普通」を、どうにかして獲得しようと努力するのです。
だって、出来ることを前提で周囲が私にイロイロと求めるのですもの。
その求められるものに答えるのは「良い子」の任務なワケでして…。

結果としてガッチガチに「外モード/擬態」という模倣で塗り固められた「潜伏型のASD」が誕生するのだと思うのですよ。
このタイプのASDを若いころに発見するのは、なかなか難しいだろうと思います。
「ちょっと変わった子」であっても、大人しく従順で賢い…それ故におとな受けは良いとなれば、「あれ、おかしいぞ?」にはなりにくいと思うのです。

女性ASDの発見されにくさ…という点とも共通点の多い「潜伏型ASD(≒良い子ASD)」を早期に発見するポイントがあるとすれば、それはきっと「反抗期がない」という点かもしれません。

少なくとも私には反抗期がなかった…。
私のころの「若者の反抗」と言えば、故・尾崎豊氏が「15の夜」や「卒業」で歌った世界、さすがにそれを実行するのは「相当」であっただろうけれど、その世界観に共感する若者が多くいた事によって彼の楽曲は輝いたのでしょう。
私はどうだったか…。

埋もれがちな「潜伏型ASD(≒良い子ASD)」を理解することが、ASDの全体像を理解する上で重要になるかもしれません。
カーステレオでスペースを聞きながら、そのなことを思ったのです。

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