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私にはずっと忘れられない見ず知らずの男性がいる。吉野弘「生命は」と共に…。

今日高円寺に行って、また思い出してしまった。

私にはずっと忘れられない赤の他人の男性がいる。

時折思い出すのである。


それは今から12年近く前のこと。

私はその時初めて絵の個展を開こうとしていた。

毎日仕事から帰って個展の絵を描くことに追われる生活をしていた。
開催日に間に合わせるのに必死だった。
やっと最後の絵を描き上げて、
開催前日の夜遅く、ギリギリで高円寺のカフェギャラリーに搬入するところだった。

母に頼んで車を出してもらい、一人暮らしをしていた三鷹のアパートまで来てもらい、トランクに絵を積んで、無事高円寺に到着した。

ギャラリーの前の道は車が入れないので、
手前の大通りの歩道側に車を停めて、
そこで絵をトランクから下ろして運ぶことにした。

しかし、トラブル発生。
トランクが開かない。
何度やっても開かない。
母に聞くと、最近トランクの扉が調子悪いのよ…と。

まずい、オーナーと約束した時間をとおに過ぎていた。
焦って何度も扉を上に押し上げてみたがやっぱり開かない。

テンパってつい大声で、
「どーしよー!間に合わないよ!」
とガチャガチャと扉を開けようとしながら叫んでしまった。

すると、
目の前の業務スーパーから出て来た買い物帰りと思われるスーツを着たサラリーマン風のひとりの男性が声を掛けてきた。

「どうしましたか?」

「あ、トランクの扉が開かなくなってしまって」
と泣きそうな声で応えてしまった。

「ちょっと僕がやってみましょう」

その男性が何度かトランクの扉をガチャガチャっといじると、

なんと、パカーっと開いたのであった!

「わー、ありがとうございます!
 本当に助かりましたー」

「良かったですね。じゃあ僕はこれで。」

と言って、ささっと帰って行かれたのだった。

ふと、追いかけて、
「今度近くで個展やるので良かったら来てください」とDMを渡そうかと思ったのだが、
そうだ、早く搬入しなければと我に帰った。


実に爽やかで、人情味溢れる、ナイスガイだったことを未だに思い出す。
あの帰って行く後ろ姿がなんともかっこよくて印象に残っている。

あの時追いかけて声掛ければ良かったなと、ずーっと後悔しているのである。

そういえば12年間ずっとだ…。

あの出来事の光景を思い出すと、なんだか胸がキュンとなる。これは恋なのか…?
顔も良く覚えていないし、思い出してもモザイクがかかってる感じなのだが。


あなたにも、そんな人、いませんか?



吉野弘の「生命は」という詩がある。

「生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱いだき
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和

しかし
互いに欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない」


あの男性を思い出すと、
ふとこの詩が呼び起こされるのである。


そして、musette が聴きたくなった。
「datum」というアルバム、
とても名盤だと思います。



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