見出し画像

もっと休んでいんじゃないか。

筆者は短期集中うさぎ型人間である🐰

締め切り前とかはまってる時には何時までだって動き続ける。
倒れ込むように眠り、数時間後に起きて続きをやりきる。
達成することが大事。そのために必死になりながらも、思いもよらぬ抜け道や、人からの助けをもらいながら、オリジナルな突破口を歩いていくのが好きだ。これが人生だ。

ところで、そんなうさぎ野郎は、横になって人参咥えてカウチポテトをするのも結構好きなのである。なんと表現したらいいか分からないが、風がない時だ。大きく物事がどこかに向かおうとする、そんな対局がなく、今、がただ何処にいくのでもなく、そこにあり続ける時である。

そんな時は決まって自然に会いにいく。
多分理由は、変わり続けているからである。
同じ場所で、ただじっとしていても、何も生産的なことをしなくても、自然は休むことなく進み続ける。そんな様子を眺めると、ふと、自分の心の中に、次の風が吹き始めるのを感じることができるのだ。

毎回不思議だが、風が止む瞬間、一気に周りの環境が遠くなるというか、自分が急に周りから隔離され、すごい勢いでズームアウトしていく感覚になる。昨日まで色鮮やかだった世界が急激に色を失い、モノクロのようになる。毎日の慌ただしいリズムが消え、砂嵐のように雑音に変わる。一喜一憂を感じていた同僚の話に、どこか不感症になってくる。きっと風の分岐点に来てしまったのだ。勢いよく本流の風の流れと別れた私は、小勢力の細い風になって、動いているのかどうかも分からない、静かな流れになるのだ。

どこか寂しくて切ない。だけどまた元に戻ることはできない。このまま広い空気の中でとるに足らない存在になって、ふらふら彷徨うのだろうか。そんなセンチメンタルな気持ちと、あー、自分だけの時間。自分だけの進路。自分だけの景色。そんな特別感とが交わる、不思議な状態になる。

自然との対話、自分との対話。紙にいろんな文字を書き出してみると、あの強い風の主勢力だった自分が、あの曲がり角で群れから離れてしまったのか、明確になってくる。自分の中で新しい風を作るエネルギーが溜まってきているからだ。その気持ちが見えるまでは、ただただ急に自分が壊れてしまったのではないかとか、もう風になれないんじゃないかとか、いろんな気持ちになるが、いや、多分新しい風の向きを整えているんだと、自然と腹落ちするようになってきた。

大学3年生で就職活動を始めた頃、当時ブイブイ言わせていた勝間和代さんが大学にきてスピーチをしていて、その時に学生から、「残りの学生の時間で何をしたらいいか」みたいな質問を受けていた。その回答はこんな感じだった。

「社会に出たら2週間以上の休みを取ることは難しい。だから、2週間以上の期間が無いとできないことをするといい。海外旅行なんかはいい例だ。」

私の周りには海外旅行に行く友達が結構いて、みんなこぞってこう言っていた。「社会人になったらいけないから。今のうちにバイトでお金を貯めて旅行に行っておくよ。」

なるほどなと思いつつ、本当にバイトが嫌いだった私は、入学した時には1年間留学実績ありということで、周りより抜きん出ていたような気持ちだったが、卒業する頃には、大学で留学した子や、アジアに旅行に行った子たちの中で、非常に経験していない子みたいになったw 
それでバイトは最低限しかせずに、生活切り詰めて、ろくにおしゃれもせずに、図書館に引きこもって憲法とか権利とかについて考える、よく分からない生活をしていた。その腹には、就職したら海外を股に掛ける生活にどの道なる。今急いで旅行なんかしなくていいし、そもそも旅行に興味がない。知りたいのは現地の文化で生活、考え方で、今そのために時間を使うのはすごく勿体無い。そんな思いがあった。

社会人になった私は、多分1年に1度くらいの頻度で2週間休みをとって海外に行っている。そして旅行の素晴らしさ、思いっきり休みを取ることに素晴らしさを噛み締めている。そして、旅行でなくても、働きながらある種の自主モラトリアムを取ることも覚えた。

2週間以上の休みを取るなんていいね、とか言われるが、殆どの日系の会社では合法的に可能だ。欧米の人たちなんて、1ヶ月は余裕でとる。休みをとるマインドがないだけだと思う。

個人的には、長期間の休みは、上で書いたような主流の風からの分離を意図的に作る良い手法である。特に、1週間目は何処か夢見心地になりがちだが、2週間目には、少し不安がよぎるのである。客観的に、自分が本流の風がら離れたことに気づき、ちゃんと戻れるだろうかとか、置いてきた仕事はちゃんと進んでいるだろうかとか、そういうことが気になってくる。

だけど、2週間で取り返しがつかないほど悪化するPJは殆どないし、そんなPJのハイライトの時は流石にoffはすすべきでない。だけどそれ以外の、PJの初版、中盤あたりであれば、全然取り返しができるし、逆に予定通り進まないことで、工夫する余地が生まれる。人に頼ってみたり、進め方の順序を変えてみたりだ。そいういうことをやってみると、同じ仕事の中にも新しい発見が必然的に生まれる。

それから、一度風を離れた後で、また合流したいと思えるかどうかも一つのポイントだ。私は最初の会社に6年間いたが、こう言う気持ちのインターバルを毎年やってきた。それでもまだ自分にわからないことがあると思って後1年、後1年という感じで続けてきた。だけど、ある休み明けに会社に戻ったら、空気も音も色も何もかもが合わなくなってしまって、それで転職した。そしてそれはとても良い選択になった。その後の3年は、今まででは考えられないような、飛躍しかない3年間になった。

そして今また、別の風の音を探して耳を澄ましている。

そんな感じでいいように思う。
そして、そんな人って、私だけじゃないんじゃないか。
結構いろんな人が、いろんな形でこう言う経験をしてるんじゃないだろうか。
会社の部署が急に変わったとか、住む場所が変わったとか、そう言うのだって、本流から距離を置くきっかけになるだろう。

まとめると、もっともっと、休みを、本流からの隔離を、取って行っていんじゃないか。そして、すっかり違うことをした後でまたいつもの仕事にいつも通り取り組むことができる幸せを噛み締めたり、はたまた、今まで疑問にも思わなかった毎日から、急激に覚めて、そして、自分でもどう扱っていいのか戸惑う、新しい自分を受け入れ、その自分が繰り広げる新しい旅を始めて行っても良いんかないかと、思いました。

以上です!

参考:冒頭の写真は3日ほどリモートワークした沖縄のホテルのロビー
https://okinawa-uds.co.jp/hotels/anteroom-naha/

入り口の隠し扉のような自動ドアをくぐると広がるモダンアート美術館のような空間が素敵。
2Fフロント+ロビー+のまどCafeが撮影した場所だが、ワーケーションする人にはとにかく快適無空間なのでおすすめです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?