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後回し癖あるいは逃げ癖―LINEを例に

どうやら自分には後回しグセがあるようである。
この傾向が最も顕著に現れているのがLINEの返信である。

かしこまったLINEでも数時間あるいは夜に来た場合なら翌日になってやっとのことで返すことになる。今のところはなんとかなっているが、大きな失敗に繋がりはしないかと内心ビクビクしていることは事実である。

これが友達とのカジュアルなLINEになるとより悪化するのだ。何かに迫られているという意識が薄いからだろう。大抵は何気ないやり取りに過ぎないので返信がなくとも大きな問題にはならないのだが、気づいたら自分で止まっていたなんてことがしょっちゅうある。そうして慌てて謝罪LINEを返すというようなパターンのミスをそこそこ繰り返してきているのだ。

返信のニュアンスから察するに、友人はあまり重くは考えていないようなので救われたりする。相手が気分を害してはいないだろうかと気をもむのも、これまたLINE再開に付随する心理的一大イベントである。       「そんなことになるの分かってるんならちゃんと返信しておけばいいのに。」心の中のもう一人の自分が口角高めのやらしい笑みを浮かべながらチクチクと正論責めに及ぶ。

返信を返さないことで相手を怒らせてしまってはいないかという不安と、返しておけばよかったという後悔とを永劫回帰し続けるというのがいつものパターンである。このようなダメ人間ぶりを備えている諸氏も実は多いのではないかというのが私の見立てである。というか、いてほしいというのが偽らざる本音である。どんなに救いようのない人間であると自分で感じていても似たような人間がいると知るだけで少し救われるものである。人気のない道をひとり歩いているときの不安が、見ず知らずの通行人とすれ違っただけで晴れていいくのと心理的には似ている。

とはいえ、実際のところあまり気にしていないものである。まあ、考えてもみれば暇つぶし感覚のLINEにいちいち腹をたてることも無いだろうというのは一般的な人間の心理としても納得は行く。しかし、ここでつくづくめんどくさいなと自分でも思うのが、相手があまり気にしていないという態度である。ということは、自分とのLINEはまー別に大したことでは無いということも意味しているので、それはそれでゲンナリとしないでもない。結局、怒られても怒られなくても不安が晴れないというドツボにはまり込んでいってしまうのである。

これぞ身から出た錆、悪因悪果、因果覿面、因果応報、自業自得の極みである。私の愛してやまないB'zのねがい曲のという歌詞の一節に「自分で選んで歩いてきたこの迷路」なる一節があるがまさにそれである。

とはいえ、翻って自分という人間に目を遣れば、返信が遅れたことへの態度として実は友人たちのようには行かないのかもしれないと考えたりもする。ここらへんはまた後々語るとしよう。

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