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ドブヶ丘銀座の覆面強盗

「質を問わねば、なんでも揃う」

 ドブヶ丘銀座の商店街のアーケードにはそんなキャッチコピーが吊られている。いつ誰が吊ったのかは不明だが、この商店街、あるいはこの街の性質をよく表していると、カネサワはよく思っていた。
 この商店街に流れ着いて20年になるけれども、およそこの世にあると聞くものは全部見たことがあるように思える。もちろん全部が全部ちゃんとしたものだったわけじゃない。偽物もあれば、粗悪品もあった。
 だから、店長が仕入れ来た「1930年代にアメリカで暴れた強盗の覆面〜男女用各一組〜」と書かれた古ぼけた布袋を見てカネサワは首を傾げた。
「本物なんですか?」
「知らん」
 店長は自慢のひげを捻りながら答えた。
「買う方もわからんから問題ねえだろ」
 それもそうか、とカネサワは得心する。そもそもどんな人が買うんだろうと新たな疑問が浮かぶが、頭の奥に追い払う。どんなものだって欲しがる人はいる。店長が毎度得体のしれないものばかり仕入れてくるのに、なんとか潰れずにこの店、ファッションセンタードブガワが続いているのがその証拠だ。
「適当にマネキンに被せといたらいいですか?」
「ん、任せるわ」
 それだけいうと店長は防護外套を手に取った。
「どっかいくんですか?」
「また仕入れに行ってくる。店番任せた」
「あいー」
 店長もこの覆面にはあまり期待してはいないのだろう。せかせかと店を出る背中を見送ってから、カネサワは所々に血の滲む穴の空いた布袋をじっと見つめ、ふーむとレイアウトを頭に思い浮かべた。

「あい、すみませんが」
 声に薄まっていた意識を呼び戻した。
「はい、はい。なんでしょう」
 裏返る声を咳払いでごまかしながら、カネサワは目を開いた。
 目の前には一人の男が立っていた。埃とドブの染みに塗れたしわだらけの背広を着た老人だった。片手には礼儀正しく脱がれた古い白いカウボーイハットが握られている。
「買取ですか?」
 帽子を見てカネサワは尋ねる。その帽子も埃とドブの染みは残っているけれども、よく手入れされているのか、比較的きれいな状態を保っているように見えた。かなり良い値で引き取ってもよさそうだと、頭の中で算盤を弾く。
「いいえ、少し買いたいものがありまして」
「はあ」
 老人は気を悪くした様子もなく首を振った。この店に老人の年齢の客に向けた商品があっただろうか? カネサワは店を見渡す。
「いえ、あのショウウィンドウの覆面なのですが」
「ああ、はい」
「あちらを買い取りたく思いまして」
「ああ、なるほど」
「おいくらでしょうか」
「それぞれ300ドブ券で、まとめてだと550ドブ券ですね」
 提示した額は正体の知れない古着にしてはいささか高めの設定。おそらく値切ってくるだろうと読んでの数字だった。
「わかりました」
「え」
 老人はためらいなく頷いた。思わず聞き返してしまう。
「よいのですか?」
「ええ、ただ、今は持ち合わせがないので、また後ほど買いに来ます」
「あー、わかりました。それじゃあとっときますね」
 カネサワの言葉に頷くと、老人は会釈をして店を出て行った。
 しばらくあっけにとられて、遠ざかっていく白い帽子を見つめていたけれども、慌ててカウンターから売約済みの札を取り出してショウウィンドウに向かった。

 落ち着かない気持ちで、居眠りをする気持ちにもなれず悶々とカウンターに座っていると、店の表に車が止まるのが見えた。馬力のありそうな力強い車だった。
 カネサワは姿勢を正した。この街で車を持つような人間は余裕のある客だ。なにか品を気に入ってもらえればいい儲けになるだろう。
 実際、店の扉を開けて入ってきた男女はかなりこぎれいな身なりをしていた。男は仕立ての良い背広に洒落た中折れ帽。その腕に縋りつく女も染み一つないクリーム色のドレスに小粋なベレー帽をかぶっている。
「なにか、お探しですか?」
 愛想の良い笑顔を作り、カネサワは二人に話しかける。
「や、とくに探し物があるわけじゃないんだが……」
「ねえ、あんた、あれ」
 女が男の言葉を遮った。女はショウウィンドウを指さしている。その細い指の先に飾られているのは一組の覆面だった。
「ああ、あれは……」
「売約済み、って書いてあるじゃないか」
 眉を寄せたカネサワの顔を見て、男は女に諭すように言った。
「でも、あたしあれほしいわ。なんかとってもイケてるじゃない」
「まあ、たしかに」
 ふむ、と男は覆面を見つめる。それから男はカネサワに向き直って口を開く。カネサワは非常に嫌な予感がした。
「恐縮だが、我々に売ってもらうわけにはいかないだろうか?」
「申し訳ないですが、そういうわけにも」
「売約の二倍の額までなら出すが」
 男の言葉にカネサワの心は揺れた。老人に言った額の二倍が金庫に入れば、この一か月はなんとか店を続けていくことができる。
「申し訳ありません」
 それでもカネサワは首を縦に振ることはできなかった。約束を守ることはこの街で商売を続けるのに重要なことの一つだ。一度商売上の約束を違えてしまえば、この一か月を乗り切れてもその先を生き延びることはできないだろう。
「そうかい」
 男は思いのほかあっけなく頷いた。ほっと胸をなでおろす。
 あまりに安心したものだから、カネサワは二人がひそかに目を合わせたのに気が付かなかった。
「じゃあ、代金はこいつだ」
 稲妻のような速さで、いつの間にか二人は拳銃を構えていた。その銃口はぴったりとカネサワの心臓を狙っている。思考よりも早く、カネサワは両手を上げ、口を開いていた。
「どうぞ、持って行ってください」
 反撃できないタイミングで現れた強盗には逆らわないこと。それがこの街で生き延びるためのもう一つのルールだった。ゆっくりと振り返り、ショウウィンドウの鍵を手に取る。
「そうかい、悪いね」
 男は銃を突きつけたままにっこりと笑って、鍵を受け取った。そのまま女に鍵を渡すと女はショウウィンドウを開けて覆面を取り上げた。
「行こう」
 言って女は先に車に乗り込み、エンジンをかける。男はカネサワから視線を外さずに後ろず去りしながらゆっくりと店の外に向かう。カネサワは両手を挙げたまま、無害な笑顔を浮かべる。
 店の扉が閉まり、爆音を立てて車が発進した。

 カネサワは胸を撫でおろす。それから、空になったショウウィンドウを見て、顔をしかめた。どうしようもなかったとは言え、老人に説明することを考えると気が重い。
 売約済みの札だけがむなしく揺れていた。

 遠くでバリバリと雷のような音が聞こえた。老人にかける言葉を考えてうなっていたカネサワは驚いて外を見上げる。店の外の空には珍しく真っ青な青空が広がっている。どこかで不正召喚でも行われているのだろうか。晴れた日ほど珍しいことではない。カネサワは頭を振って言い訳を考えるのを再開した。

 ほどなくして店の扉が開いた。入ってきた客を見て、カネサワはバツの悪そうな顔をした。
「いらっしゃいませ」
「ええ、代金を持ってきましたよ」
 カウボーイハットの老人は温和な笑みを浮かべ、重たそうなカバンを掲げた。
「あー、そのことなんですが」
 なんと言おうか考えながらカネサワは頭を掻いた。ふと、老人の服に赤い汚れが増えているのに気がつく。白い帽子にもいくらか赤の斑が散っている。
「どうぞ、ご確認してください」
 老人はカウンターにどさりとカバンを置いて開いて見せた。カバンの中にはぎっしりとドブ券が詰まっていた。老人に伝えた額の二倍は確実に入っている。
「多すぎますよ」
「いいんですよ。迷惑料と思って受け取ってください」
「迷惑料?」
 カネサワは首を傾げた。老人はにっこりと笑って懐に手をやった。
 カネサワは身構える。このタイミングならカウンターの下にもぐることができる。
「ほら」
 老人は背広の懐から布切れを取り出した。それは二枚の覆面だった。黒ずんだ穴だらけの覆面。
「それは」
 驚きに目を見開く。
 広げられたその覆面は最後に見た時よりもかなり穴が開き、真っ赤な汚れが増えているように見えた。
 老人が再びにっこりと笑う。
「ね」
 その笑顔にカネサワはゆっくりと頷いた。

【おしまい】


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