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Vのこと、あるいは最近気づいた自分の性癖

最近、ホロライブばかり見ている。そんな中で自分の性癖に気が付いた。残しておく。あるいは全人類の性癖かもしれない。

わしは本当にホロライブくらいしか見てねえ浅瀬ぱちゃぱちゃ勢だ。ガチ勢の諸兄からすると「そいつは違うぜ」というところはあるかもしれない。そういうときはできるだけお手柔らかにご指南いただけると嬉しいな。あと、「そういうてめえには、こいつがおすすめだぜ」みたいなのも教えてくれると助かる。

というわけで、わしが見つけた性癖について話そう。

虚実が曖昧になる感じが好きなのだと思う。あるいは、キャラクターとして振る舞う人間から染み出してくる、振る舞いきれない素の部分が好きだ。

OK、それじゃあ、最初から説明するね。

キャラクターというのは何か、というところから話そうか。

簡単に言うと、ある出来事に対してどのような反応を返すかの条件のかたまりだと思っておくれ。出自がばれそうですね。

「胸がねえ」と言われたときに「否定する」か「殴る」か「揉ませる」か

とか

「敵のニンジャに出会ったら」「殺す」

とか、まあ、そういうやつだ。日々見てるものがばれそうですね。その条件をわかりやすく物語の形にまとめたのが設定というものなんだよ。人類は物語の形にした方が記憶しやすいですからね。

その設定に従ってキャラクターは反応を決定する。

とくに入力が想定のうちに収まる小説とか映画とかの中ではキャラクターは破綻なく機能する。(作者の腕前がひどく悪くない限り)

現実においてはどうだろう。

だいたいの人類は社会生活を送る上で必要なキャラクターを使いながら反応を決定してると思う。常識的にふるまうとかそういうやつだ。身に着けてきた反応のリストのおかげで、想定外のことが起きたときにも、まあまあ妥当な行動をとることができる。

Vtuberってのはもうちょっと複雑だね。

架空の存在だけど、特に配信の場合は入力が想定外のものになることが多い。キャラクターが身についていれば、外付けの反応のリストがリアルタイムに設定として妥当であろう反応を打ち出す。その結果破綻なくキャラクターとして振る舞えるだろう。

キャラクターとして振る舞えない場合もいくつか考えられる。

設定を忘れてしまうこともあるだろうし、自分自身の感情の高ぶりのあまり条件通りの反応を返せないこともあるだろう。

不思議なことに、それはあまり悪いものととらえられないようだ。前者はリスナーから突っ込みが入ったり、自分自身で弄ったりして、笑いに変えられる。後者は「エモい」のひと言で評価される。

たぶん、そういうのは外装の向こう側に生身の人間がいることが意識されるからなのだと思う。

リスナーは「外装の向こう側に生身の配信者がいる」ということを知っていながら、「外装こそがVtuberである」という虚構を楽しんでいる。

(なんか、この文章すげー昔にた文章をどっかで見た気がする。大塚英志とかそのへん)

キャラクターから逸脱したものを見ると、その虚構の端から生身の人間が垣間見える。それは好ましいもののようだ。それは例えば相手が自分と同じ世界にいることを感じられるからかもしれないね。

ところで、一つ考えてみたいのは垣間見えたと思うものが本当に生身の人間なのかを確かめる方法はないということだ。何かのハプニングにキャラクターが意外な行動をしたとして、それさえも演出され、制御された行動ではないということは証明できないのだよ。動機はいくらでも考えられるね。見ている人がそうすれば喜ぶからさ。みんな、のぞき見は好きでしょう?

何て言うんだっけ、こういうの。探偵小説でなんかこういうのあるんでしょう? 昔、本で読んだよ。そう、後期クイーン問題。もしくはディックのユービックみたいな無限後退。真犯人の後ろに真犯人がいないことを証明できないってやつ。

マイクの切り忘れは本当に事故だったのか? 

ゲームに負けて流した涙は本物か?

語尾が消えるのは同期に会えてうれしいからと言うのは真実だろうか?

まあ、だいたいの場合は本当だと思うよ。というか、疑い出したらきりがないし、そんなこと無視して信じた方が楽しいだろう。なに、あんたは名探偵ってわけじゃない、人の命も名誉もかかってないんだから気楽に行こう。


あ、私の推しはポルカ座長です。3Dお披露目のラストに心撃ち抜かれた。

”時々出るボロは、持ち前の愛嬌でごまかす。”

https://www.youtube.com/channel/UCK9V2B22uJYu3N7eR_BT9QA/videos



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