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ドブヶ丘の夏休み

 重油蝉の粘つくような鳴き声が街に響く。
 海も川も汚染され、年中重苦しい酸性雲が空を覆うこの街にも、サマーシーズンは到来する。住人への脅威が春の桜坊主から夏の夕闇の馬と蓮もぐりに変わったころ、とりわけドブヶ丘の小学生たちにとって重要な季節がやってくる。
 サマーシーズン。それは冒険の季節。
 今年も各学区の選りすぐりの探検屋たちが床夜桜山第二小学校の校庭に集まった。溢谷三小の総代、三木屋文康。括木小の大将、投戸口ジョージ。キリン型の生物にまたがっているのは空心小の生物委員タカダスズキだ。鋭い目つきの児童たちが油断ならない眼差しで互いに観察し、囁きあっている。
 一人の少年が朝礼台に立った。少年の名は金田、床二の生徒会長を務めている。金田がマイクをカリカリとひっかく。地面に置かれた歪んだスピーカーからはノイズが漏れ出るばかり。小さく舌打ちをすると金田は大きく息を吸いこんだ。
「諸君!」
 金田は大きな声で叫んだ。マイクなしでも校庭中に響き渡る朗々たる声だった。校庭に満ちていた囁きのざわめきは消え、視線が一斉に金田に集まる。金田は続ける。
「僕たちの街に再び、夏が来た。冒険の夏だ」
 歓喜の雄たけびが答える。落ち着くのを待ってから、金田は口を開く。
「昨年、僕たちはたどり着くことはできなかった。いや、昨年だけではない。一昨年もその前も、そのもっと前も。僕たちの冒険はたどり着くことなく終わってきた。もしや君たちの中に、今年もたどり着けないのではないかと思っているものもいるのではないだろうか?」
 返ってきたのは否定の雄たけびだった。雄たけびの熱に呼応して、金田の口調も熱が籠っていく
「そう! 僕たちは諦めない! たとえ親が、先生が、先輩たちが、どれだけ諭そうとも! 今年こそ! 僕たちこそが見つけるのだ! 辿り着けずに終わることが敗北なのではない! 探すことを諦め、冒険を辞めてしまったとき、それが僕たちの敗北なのだ! それゆえに僕たちはたどり着くのだ!」
 金田の言葉にひと際大きな雄叫びが上がった。
「さあ、行こう! あの、幽霊電波塔を探して!」
 金田が振り返り、彼方を指さす。その指の先、床夜桜山の頂上に、二本の電波塔の影が遠くかすかに見えた。

◆◆◆

「はん」
 校庭から少し離れて、舞い散る床夜桜の木の枝に腰掛ける少年がいた。熱狂する生徒たちを冷ややかな目で見つめている。
「ねえねえ、あっちに行かないの?」
 桜の下から少女の声がした。青白い顔をした小柄な少女が、幹にもたれかかりながら、少年を見上げている。
「どうせ、あいつらじゃ今年も見つけられないさ」
「わかんないじゃん」
「あんな馴れ合いどもがか?」
 少年は鼻で笑う。
 よっ、と軽く声を出しながら枝から飛び降りる。
「幽霊電波塔を見つけるのはこの俺さ」
 少年は少女の手を引いて立たせてやりながら不敵に微笑んだ。

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