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立命館大学新聞社の学生調査から考える。インパクトのある情報によって議論が単純化することの怖さと難しさ。

先日、立命館大学新聞社の学生調査で、4人に1人が休学を視野に入れているという調査結果が発表され、ニュースで大きく取り上げられました。1大学のみの調査なうえ、有効回答数も1,414件と少ないので、大学生全体の声とはいえませんが、それでも衝撃的な結果であることには違いありません。

この立命館の調査の続報で、秋学期に希望する授業形態を問う質問項目の回答状況が紹介されました。こちらの調査結果では、「WEB授業」「WEB授業と対面授業の併用」「対面授業」で、希望者がそこそこきれいにわかれたものの、一番支持されたのは「WEB授業と対面授業の併用」、一番支持されなかったのは「対面授業」でした。「対面授業」があまり支持されなかった結果に驚きはしませんでしたが、ここにはみんなで考えていくべきことが詰まっていると思い、記事にまとめてみることにしました。

休学

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世論と学生たちのホンネにはズレがある?

大学のコロナ関連の話題でいうと、学生によるクラスター発生をのぞけば、一番議論されているのは、おそらく授業形態についてではないでしょうか。なぜ、小中高では対面授業が再開できているのに大学ではできていないのか、学生たちがかわいそうだ、そんな論調が目立っているように思います。

でも、この立命館の調査では、約70%の学生たちは秋学期もWEB授業を残して欲しいと考えているわけで、世間が思っていることと、学生たちのホンネには少しズレがあるように感じます。実際、コロナ禍の学生たちを取材していると、WEB授業に対して好意的な意見って、けっこう聞くんですね。体感的なものになるので、これが真実だ!とはいえないのですが、上回生だと、文句をいう人はいるけれど、全面否定というのはそう多くない印象です。下回生からは、否定的な意見も聞くのですが、せっかく大学生になったのに何をしているのかとか、一人でずっと家にいるのが苦痛だとか、学習効果とは違うところに困難を感じている人も多いように感じ取れました。

立命館の調査では、対面授業を受け入れる人の割合が、1年生がダントツ高く、休学や退学を考えている人の多くも対面授業を望んでいるという結果が出ています。ここからは、新入生で交友関係ができていなかったり、コロナ禍の大学生活に息苦しさを感じている人が、打開策として対面授業を求めているようにも受け取れます。そうなのだとしたら、この打開策は、本当に対面授業でいいのか?と疑問に思うのです。

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ついつい混同されがちな大学生たちの問題

コロナ禍の大学生の問題は、ものすごく強引にわけると、教育に関わるもの、生活に関わるもの、経済に関わるものの3つがあるように感じています。しかし、ニュースとして取り上げられるとき、これら問題、とくに教育と生活については、ちょくちょく混同して取り上げられており、当事者である学生たちも混同しているときがあるように思います。だって、対面授業が増えると、人との交流が増えるわけで、結果的に生活が充実する……といったことも期待できるわけですから。

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ちなみに、専修大学が実施した大規模な学生アンケート調査でも、オンライン授業のデメリットについて聞く設問に、「友人いなくて不安」という生活に関わる項目が混じっていました。大学も、教育と生活の問題を地続きで捉えているのかもしれません。

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対面授業再開の是非は、よりよい教育を行うにはどうしたらいいかの問題であり、生活とは切り離して考えるべき問題です。友人づくりがうまくいかないのであれば、対面授業の再開より、もっと別のよい方法があるはずです。それこそオンライン上でレクリエーションをしたり、オンラインでのクラブ活動を推奨したりする方が、手っ取り早いし効果的です。

インパクトよりも議論につながる情報発信を

大学関係者であれば、それぞれの問題を切りわけて理解し、解決を模索している人の方が多いように思います。でも、社会には、これら問題をいっしょくたに捉え、対面授業の再開ですべてが解決できるような、そんな期待を持つ人が一定数いるように感じてなりません。対面授業=特効薬という考えがある限り、再開するかしないかの二択でしかこの問題を捉えられなくなり、建設的な議論ができなくなります。

また、以前から大学の教育、生活、経済に関わる学生たちの不満や問題はあったわけで、WEB授業の導入によって、新たに出てきたものもあれば、これまであったものが顕在化されただけというものもあるはずです。これら不満や問題がすべて今回の事態によって生じたと受け取ってしまうと、以前の大学に戻ればいいという安直な考えに行き着いてしまう恐れがあります。

WEB授業か対面授業か、今の大学か以前の大学か、単純な二元論でものごとを切り取ると、わかりやすいしインパクトが出るので、そういった表現で情報が発信されがちです。また、丁寧に説明していても、受け取る側が脳内で情報を単純化して二元論に落とし込んでしまうということもあるでしょう。

今後、コロナ禍の大学を検証する動きが、もっと活発になっていくように思います。そこで出てきた情報は、今回の立命館のように、強いインパクトとともに、社会に報じられる可能性が十分にありえます。インパクトのある情報は、~すべき、という論調を世に広げ、議論を単純化させたり、議論ができない空気を生む危険性をはらんでいます。

コロナに関わる一連の大学の変化のなかには、大学をよりよく変えるきっかけも、たくさん含んでいます。何を残して発展させていくべきか、何を戻すべきなのか、細かく慎重に考えていかないといけません。大学で、社会で、建設的な議論を育みやすいよう、情報を発信する側も、受け取る側も、誤解や決めつけを生まないように、ちょっとした心配りが必要なんだと思います。まぁ、めちゃくちゃ難しいんですけどね。私自身、ウェブメディアを運営しているので、書きながらなんかため息が出てきました……がんばろう。

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