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雑学マニアの雑記帳(その1)すし一貫

日本語ではモノの数を数える際の単位、いわゆる助数詞が多岐に渡るという特徴がある。よく取り上げられる例として、箪笥(たんす)は一棹(さお)、刀は一振り、ウサギは一羽、などといった数え方が挙げられる。長い日本語の歴史の中で、様々な助数詞が使われるようになってきたことと思われるが、ここでひとつ疑問に思うことがある。それは、今までに無かった新しいモノが出現した時に、我々はそれらを数えるために、どのような助数詞を選ぶのかということだ。今までになかった新しいものが登場してきた時に、同時に新しい助数詞を造ったりするのだろうか。それとも既存の助数詞のいずれかを割り当てるのだろうか。興味深いテーマであり、検証してみる価値はありそうだ。
検証を進めるにあたっては、主に明治期以降に新たに登場してきた様々なものを対象として、我々はどのような数え方をするのか確認してみるのが良いだろう。ただ、そうは言っても、助数詞の中にはかなり汎用的にものがあり、多くの場合には、それで事足りてしまうのは確かだ。比較的小さな個体であれば、一個、二個で良いし、細長いものであれば、一本、二本で良い。さらに、板状の平たいものであれば、一枚・二枚であり、乗り物や家電・装置の類は一台、二台で数えられる。
このあたりまでは容易に思いつくところであるが、身の回りの様々なものの数え方を確認してくと、比較的汎用的な助数詞はもう少しあるようだ。まずは、「基」である。昔から一基、二基と数えてきたものとしては、次のようなものがある。

鳥居、灯籠、五重塔、墓、古墳、石碑、花環、堤防、棺桶、神輿、仏壇、など

これらを見る限り、地面や床に据え付け、あるいは据え置いて使用するものを数える際に「基」が使われてきたようだ。さらに言えば縦長の形状をしているものという条件も加わるのかもしれない。(昔の棺桶は、文字通りの桶であったので、これも縦型の範疇であろう)この「基」という助数詞は今でも人気があり、昔からの例に倣って据え置き型の装置などに多用されている。一例を挙げてみよう。

原子炉、溶鉱炉、エレベーター、エスカレーター、スキーリフト、ロケット クレーン、石油タンク、雪像、鉄塔、電話ボックス、時計台、風力発電機、噴水、レーダー、ダム、など

さらには、飛行機のエンジンや人工衛星を数える際にも「基」が使われる。飛行機のエンジンは本体に据え付けられているものであるし、人工衛星は軌道上に据え付けられているものと拡大解釈されているのかもしれない。拡大解釈によって、新しく現れたものを数える際に、なるべく既存の助数詞を使おうとする傾向があるようだ。
一方、「基」と同様に汎用的でありながら、いまひとつ人気の無い助数詞もある。二挺拳銃などと使用される「挺」である。現代では「丁」という漢字を宛てることもあるが、豆腐一丁などと数える「丁」という別の助数詞が元々あったことを鑑みて、ここでは「挺」という表記で区別することにする。さて、一挺、二挺と数えるモノとしてどのようなものがあったのか、見てみよう。

斧、のこぎり、はさみ、鍬(すき)、鉋(かんな)、草刈り鎌、熊手、鉄砲 砥石、算盤(そろばん)、弓、刷毛、三味線、おろし金、包丁、など

いずれも片手で持てるサイズの道具、工具、刃物、楽器類を数えるのに使用されてきたことがわかる。それでは、この助数詞を使用する現代のモノには何があるかというと、次のようなものとなる。

半田ごて、ドライバー、電気ドリル、栓抜き、アイスピック、バイオリン、ウクレレ、ハーモニカ、など

確かに、バイオリン一挺などという使い方はするが、半田ごてやドライバーなどは、一本、二本と数えられるケースが多いように思われ、必ずしも「挺」が広く受け入れられてはいないようである。「本」を始めとした他の助数詞にとって替わられるケースが今後増えていくのかもしれない。
逆に勢力拡大を計りつつある助数詞としては、前述の「本」があげられる。元々は細長いものを数えるものであったが、適用範囲は拡大されているように見える。一例を挙げよう。

バスの便、ホームラン、(サッカーの)シュート、コンピューターのプログラム、映画、CM、宝くじ等の当たり、法案、など
  
バスやホームラン、シュートなどは、その移動する空間が細長いから「本」と数えるのであろうか。映画やCMは、かつてフィルムやテープに記録されるものであったためなのかも知れない。ソフトウェアも当初は紙テープや磁気テープに記録されていた。そういった名残りなのかも知れない。
その他にも、くだけた表現として、メール一本、電話一本、東大一本などと使われることも多い。「本」の勢力拡大はこれからも続きそうな勢いだ。
くだけた表現としては、「丁」という助数詞も面白い。ラーメン店に入れば「塩二丁、味噌一丁」などという声が鳴り響く。居酒屋ならば「ナマ三丁」となる。一丁あがり、出前一丁、パンツ一丁など、使用場面は限られているものの、着実に浸透しているようだ。麻雀で言えば、ドラ三個あるはドラ三枚と言えば良いところを、ドラ三丁あるいはドラ三発などと表現されることもある。どうやら「丁」は、仲間内の会話など、くだけた表現としての出番が多い助数詞であるようだ。
ここまで見てきたように、基本的には新しいものが現れても、既存の助数詞の適用範囲を拡大して対応するケースがほとんどのようである。
ただし、新しい助数詞が新たに発明された事例も無い訳ではない。例えば、鮨を数えるカン(貫)である。その起源には諸説あるようで、ひとつは、江戸時代に一貫文の銭を数える際に、一文銭100枚(あるいは96枚)を紐に通してまとめていたことから、その形に似ている握り鮨を数える時にも、「貫」を使用したという説である。一方、昭和の後半に、「個」が転じて「カン」が使用されるようになり、その後に漢字の「貫」が宛てられるようになったという説もあるようだ。いずれにせよ、この助数詞「貫」が一般に広く使われるようになったのは、昭和の後半以降であることは確かなようだ。この言葉の初出年が分かるかと思って日本国語大辞典を見てみたが、項目すら立っていなかった。広辞苑でも鮨を数える「かん」が載るようになったのは第六版(二〇〇八年発行)からである。
つまり、日本人は現代になっても新しい助数詞を作ろうという意欲が衰えていないことになる。合理性を追求する世の中の流れからすれば、集約・単純化の方向に流れても不思議ではないのだが、これは面白い現象である。鮨を「一個、二個」ではなく、「一貫、二貫」と数えたいという心理はどこから来たものか、これまた興味深い探究テーマである。


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