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雑学マニアの雑記帳(その4) 水金地火木土天海冥

春になって、受験や合格発表のニユースに接する度に、はるか昔の自分の受験生時代の思い出が様々蘇ってくる。今思えば、よくも短期間に大量の知識を詰め込んだものだと感心する。あの頃は、人生の中で一番努力をした時期であったかもしれない。
当時、「日本史や世界史は『暗記物』だから大変だ」などと思ったものだが、歴史だけでなく、他の教科にも少なからず暗記しなければ始まらない要素が多分にあったと思う。数学や物理の公式、古文の助動詞活用形などは、暗記を前提としていて、その上でそれらの適用方法を学んでいくことになるため、必死の思いで暗記に務めたものだ。
そのような暗記をしていく際の方法としては、大きく分けて二通りの方法があったように思う。ひとつは、語呂合わせの力を借りる方法だ。「鳴くよ(794)うぐいす平安京」と言った具合に、主に歴史の年代暗記に効果を発揮する。しかし、多くの暗記物は残念ながら語呂合わせという訳にはいかず、「丸暗記」という方法を取らざるを得ない。
例えば、古文の授業で覚えた過去の助動詞「き」の活用形は「せ・○・き・し・しか・○」であった。「せーまるきーしーしかまる」と呪文のように何度も繰り返し声に出して覚える訳だ。もちろん、この活用形の並びが「未然・連用・終止・連体・已然・命令」であることも暗記しておかねばならない。これも「みぜんれんようしゅうしれんたいいぜんめいれい」と唱えて覚える。各教科を合わせると、驚くほど大量の情報を「丸暗記」したことになる。
丸暗記は、学校の授業だけでなく、日常生活の中にも溢れている。一例を挙げれば、

 せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すすな・すずしろ
                            (春の七草)
 ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い
                             (十二支)
 すい・きん・ち・か・もく・ど・てん・かい・めい
                (太陽系の惑星列、後に冥王星は除外)

といった具合に枚挙に暇がない。

こうして我々は、いつの間にか大量の「丸暗記」をこなしている訳だが、実際どうやって効果的に暗記をしているのか、もう少し掘り下げてみたい。
小学校時代に、誰もが避けて通れなかったであろう「丸暗記」の代表格は、低学年で覚える「掛け算九九」ではないだろうか。声に出してひたすら各段を覚えていく。算数の基礎でもあり、暗記人生のはじまりでもある。通常は、淡々と繰り返し唱えて覚えていくことが多いが、友人の中には妙な節回しで唱えて皆んなの失笑を買っていた者がいたが、そんなやり方の方が、より頭の中に入りやすいのかもしれない。
さらに、その発展形がある。暗記対象を完全に歌にしてしまう方法だ。動画サイトを検索すると、「九九のうた」が山ほど登録されているのに驚く。やはり、歌にすることで暗記が促進されるのだと思う。アルファベットのABC…を覚えるのに「キラキラ星」のメロディーが利用されることが多いのもそのためであろう。
歌とまではいかなくても、リズムに載せて覚えるというのは、暗記の基本テクニックと言って良いだろう。呪文のように繰り返して暗記しようとする時には、自分の中でリズムを設定し、毎回そのリズムで繰り返し唱えるのが極めて有効である。
落語「寿限無」では、その長い名前が非常にリズミカルな節回しで演じられる。また、一聴して単調に聞こえがちなお経ですら、木魚のリズムに載せて、ひとつの音節を伸ばしたり、複数の音節を一泊の中に詰め込んだりするなど、工夫が施されている。単純に言葉だけでなく、「リズムや節回し込み」で覚えておくことで、スムーズに再生することができるのだ。
そもそも歌というものは、繰り返し聞いたり歌ったりしているうちに、いつの間にか覚えてしまうものである。一編の詩を単に暗記しようと思えば、それなりの努力が必要となる一方、歌になっていれば、努力するつもりが全く無くても自然に記憶できてしまうことも珍しくない。もちろん、思い出す時には嫌でもメロディーが付いて来るというデメリットがあるかもしれないが、同じ分量の詩を単に記憶するのに要する努力に比べれば、その差は歴然である。
そんな性質をうまく利用した例として思い出すのがフィンランドの長大な叙事詩「カレワラ」だ。独特のメロディーに載せて古来から口伝のみで伝えられてきた膨大な分量の物語である(翻訳されていて文庫本でも読むことができるが、上下二巻で千ページ近い大作である)。カレワラは、時代とともに各地に拡散していく中で一部が失われたり、地域独自の変容を遂げたりしていったと言われている。それを一九世紀にひとりの医師が各地を回って、伝わっている内容を収集・編纂・補作し、再びひとまとまりの作品として再構築している。オリジナルと比較すれば、それなりの相違があるにせよ、何世紀も前に造られた長大な叙事詩が、文字という媒体を用いずに口伝のみで後世に伝わったのであるから、これは驚くべきことである。歌と共に言葉を記憶するというのは、人類の得た大きな知恵と言って良いのではないだろうか。

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