見出し画像

僕は昔、考古学者になりたかった。

 GWが明けた。でも残念なことに、自粛期間はまだ明けてない。
この連休は、世界中がかつてないほど、“内”に目が向いていたと思う。
あ、GWがあるのは日本と中国だけのようだから、連休、じゃなくて、「この期間」というのが正しいのか。
“内向き”の目って、日々の暮らしだけじゃなく、今までの仕事や経験、もっと言えばそれぞれの人生にまで深く向けられたと感じるのは僕だけでしょうか。

何気ない日常生活は、いかに刺激に満ち溢れていたことか。
『今日、いつもの店のランチが美味しかった』
『誰それちゃんとケンカした!』
『あの公園のツツジのコントラストが見事だった』
全部、外に出てアクションすることが前提。
だから自宅で過ごす時間が増えると、「自分の内から何かを見つける」状況に、自然と、なる。僕は、外からの刺激がスコーン!と無くなってしまった今、思い出を振り返る時間が増えた。

 ――昔、考古学者になりたかった。
だってインディージョーンズ世代だもん。あの映画のドキドキ感が多くの少年を惹きつけたのは間違いないし、当時好きだった女の子が『すっごく楽しいよ!』ってキラキラした笑顔で言ってて、気を引きたかった僕が居たのも事実だ。言い訳するなら、宝探しや冒険に加えて、僕はロストテクノロジーに普通以上の憧れを持っていたのでした。

今よりも、道具も発達していなく、生産性なんて概念すらなかった間違いなく不便な時代に、エンピツ舐めて地面に何にか書きながら計算した人たちが居たんです。
(↑これ、僕の想像ですからね。悪しからず)
例えば高度な天体観測技術を持っていたマヤ文明。彼らマヤ人が計算した太陽の運行周期って、現代のそれと比較しても十数秒しか誤差が無いんだって。すごくない?
と、まあ、そんな邪な夢だったものだから、中学校に入り、学区の違いでその子とサヨナラしちゃったあとは、考古学者なんてどこかいっちゃって、音楽の道に進むことになります。
自分でも薄情だなって思うけど、小学生ってそんなもんだよね。

 中学・高校と、それなりに有名な学校の吹奏楽部に入りました。
それこそ今ならコンプラ的にアウトかもしれない環境でずーーっと楽器吹いてた。中学時代はね、夜が長かった。コンクールの前なんか、体育館にゴムのシート敷いて、夜の10時くらいまで練習してたなあ。演奏している生徒は50名くらいだけど、冷房なんかない時代だから、夏場は熱気ムンムン。室温下げるためにドアとか全開なの。当然、蚊が入って来るから蚊取り線香バンバン焚いて。その空気吸って、よく何時間も演奏できたと思う。
当番制で保護者が何人か見守っててくれて、休憩時間になると、果物とかおにぎりとか食べさせてくれたっけ。僕ら学生も青春ど真ん中!で超真剣だったけど、あの頃は親も、もちろん先生も一生懸命だったよな、なんて思います。時代も良かった。

高校時代はもっとハードになった。朝練が7時からあって、2時限目と3時限目の間に早弁して(エネルギーが切れるため)、昼休みは合唱の練習して、放課後は掃除から始まって、毎日21時くらいまで練習してた。白状すると、部活が終わった後、家の近所のハンバーガー店にバイトにも行ってて、ほんとは高校生だから夜間のシフトはNGなんだけど、店長さんがいい人で、2時間だけ手伝わせてもらってました。
確か、時給¥650くらいだったと思うから、1回入っても¥1300とかそんな。「じゃあ、何か食べてから頑張ろう!」なんて余計なことすると、すぐ¥1000分くらいオーダーしちゃって。食い逃げじゃないけど食費をその場で稼ぐっていう。皿洗い状態だよね(笑)。
それもあって、授業中はよく寝てたけど、カマキリみたいな見た目の僕の担任は、その神経質そうな印象に反して寛大で、バイトNGの学校だったんだけど、黙認してくれてたんだよね。先生、元気かな。

 そんな生活を3年間送って、なんとか貯めた15万円を元手に、先輩から楽器を譲ってもらいました。足りない分は出世払いで。(ちゃんと社会人になってから払いましたよ)
この楽器は今でも手元に大切にとってある。思えば自力で何かを成し遂げた原体験がコレ。

他愛もない想い出だけど、内側に目を向けると、今の自分を形作る根幹が分かって、面白い。皆さんも、この自粛期間に自身のルーツを探してみては?、、、なーんて重たく考えないで、ぼんやりと昔を思い出すのもいいもんだな、と思った夜。

ああ、東京の空でも星、見えます。考古学者には、当然ならなかったけど、あるサイトのパスワードヒントの答えは「小さい頃の夢は?」に設定されてます。マヤ文明に、未練タラタラな僕。