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(3)医心方 巻二十七 養生篇 用氣第四 鳳凰堂流解釈


服氣経の説

服気経には様々な方法や説がありますが、ここでは《延陵先生集新旧服気経》と言う書から抜粋されています。

この書は現在では散佚しており、《正当道藏》洞神部方法類と言う、道教の大事典の中に一部遺っているだけです。

そして正確には、この説は服気経の中の《仙真経》の一説となります。

道とは氣である。氣を大切にすれば道を究める事ができ、道は長く存在する。

鳳凰堂解釈
ここでの道は、養生の道。養生の道は気と言う考え方、感覚に着目する事が養生のポイントの一つと言っています。    

神は精である。精を大切にすれば神は明快にものを判断でき、明快な状態が続けば長生きできるのである。

鳳凰堂解釈
昔は神と精とを分けていましたが、今は担任精神と言われています。精神、意識等の作用における物質的エネルギーを精と呼び、実際の作用、働きを神と書いています。

精は血管内の流れを川の流れのように流れ、骨に宿る霊神を守る。

精が身体から出ていくと骨は枯れ、骨が枯れると人は死ぬ。この為、道を修める事は志す人は何よりも精を尊ぶのである。

鳳凰堂解釈
血管内を流れる物理的運動に関する栄養は血、精神活動に関する栄養は精と解釈しています。

骨や脳への栄養供給は精、内臓や筋肉への栄養供給は血とでも解釈すると一旦は理解しやすいと思います。

そして、精と血の元は気。


また、氣を巡らせる為には、先ず鼻中の毛を除き、神の道を通りやすくすれば呼吸も良く通る。

また、氣を巡らせて気を閉じる事は身体を治める要となる。先ずはこれを理解する必要がある。空であり虚である事が望ましい。飽満であってはいけない。

鳳凰堂解釈
外気と内気の交換、交流と言う側面から観ると、現代科学と同じですが、精や血に充分に外気の中の清らかな成分を取り入れ、体内で使い終わった気を排出する事が大切ですので、常に体内では濁気を出し、必要な清気だけを取り入れると空、虚になります。


もし氣が停滞して流れが悪くなれば瘡ができる。例えば泉の源泉が塞がって通らなくなるようなものである。

生魚、生虫、生野菜、肥えた肉のようなものを食べて、喜怒憂恚を取り除かなければ氣は異常に上がる。これを治める為には徐々に行う必要がある。


鳳凰堂流では、鼻中の毛を除く事は推奨していませんが、その意図は重んじており、鼻中の掃除は定期的に行う必要があると考えています。

また、現代では生魚(鮨も含め)、生野菜等は禁忌どころか出回っています。A5の牛肉等はその最たるもの。

喜怒憂恚という感情の源泉となるものをどのように考え、節度を保つかは理解し、それぞれが自身の状況に従って調整する必要があると考えています。

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