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養生訓 巻第八 灸 鳳凰堂流解釈⑫


原文を現代文に改変

方術の書に禁灸の日多し。其日其穴をいむと云う道理分明ならず。

内經に鍼灸の事を多くいえども、禁鍼、禁灸の日をあらわさず。

鍼灸聚英に、人神尻神の説、後世術家の言なり。素問、難経にいわざる所、何ぞ信ずるに足らんやといえり。

又曰、諸の禁忌、ただ四季の忌む所、素問に合うに似たり。春は左の脇、夏は右の脇、秋は臍(ほぞ)、冬は腰、是なり。聚英に言う所かくの如し。

まことに禁灸の日多き事信じがたし、今の人只忌日と、男子は除の日、女子は破の日をいむ。是亦いまだ信ずべからずといえ共、しばらく𦾔説と時俗にしたがうのみ。凡そ、術者の言逐一に信じがたし。

鳳凰堂流意訳

方術の書に書かれている禁灸の日は多い。
その日のその穴を忌むと言う道理がハッキリとしていない。

黄帝内經には鍼灸の事が多く書かれているが禁鍼、禁灸の日は書かれていない。

鍼灸聚英には、人神尻神の説があるが、これは後世の方術家の言葉である。

素問、難経に書かれている事を信頼する価値があるのだろうか。

又曰、諸々の禁忌は、ただ四季による避けるべき所、が素問に合致しているようなものである。

春は左の脇、夏は右の脇、秋は臍(ほぞ)、冬は腰、是なり。周栄に言う所かくの如し。

本当に禁灸の日に関しては、多の事が信じがたく、今の人ただ忌日と、男子は除の日、女子は破の日を避けている。

これも又、まだ信じるに値しないが、しばらくは古い説とその時の状況にしたがうだけである。凡そ、術者の言葉は一言一句信じるのは難しい。


鳳凰堂流解釈

素問、難経を如何に大切にしているかが分かります。

素問も難経もわざわざ八十一篇にしていると言う事は、周易に準拠している事の暗示です。

言葉はその人の想いの一端が身体から出たもの。

文字はそれを固定していまうので、文字から又その人の本当の想いを汲み取る必要がありますが、それは汲み取る人、受け取る人によって変わります。

鳳凰堂は素問、難経ですら、安易には信じていませんが、貝原益軒の姿勢と同じく古典を尊重しながらも批判的思考を含めて考え、実践しているつもりです。

ちなみに忌日については、基準があるだけで、更に人によって異なる為、徒に忌日とするのは反対で、鍼灸ができなければ漢方、導引、按蹻(あんきょう)、祝由(しゅくゆう、すくゆ)で対応する。或いはそもそも、一点に絞り切る事で抜群の効果を出せるが、他の経穴は危険だったり、深さや角度に注意が必要な日の可能性があると考えています。

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