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(3)医心方 巻二十七 養生篇 谷神第二 鳳凰堂流解釈


抱朴子は晋代の葛洪が書いたとされる書。

内外の篇に分かれ、内篇には神仙に至る為の導引術(呼吸法)、房中術、丹薬等が書かれています。

丹薬を重視し、金丹法を書いていますが自身では実践されていないことや祈祷を理解していない、

或いは現世利益第一主義に傾倒しているところが見られる為、

鳳凰堂は全文読んだ事がありませんでしたが、

この文を読んで、少し興味が湧いています。

抱朴子からの引用

有は無によって生まれる。形は神を待ってから立ち、伸びる。

有は無の宮であり、形は神の家である。従って、

堤防に譬えると、堤防が決壊すれば本来の水を貯めて一方向へ流す働きが失われるようなもので、

ろうそくに譬えるとろうがなくなれば火が消えるようなものである。

つまり、身体が疲れると、心神は散り、気が尽きると命は終わる。根が抜けると虫が繁殖して青くなり、青くなると木は枯れる。器が古くなり、欲が勝てば精霊が去っていくのはものの道理です。

有は無によって生まれるというのは、無極から太極が生まれる事。

今ある物質も全て何もないようなところから、

小さな粒子が集まり、また1つ1つの細胞が集まり全体として機能することで生命が生まれる事を示しています。

集団的無意識が、個人の無意識に入り、顕在意識に昇る事で何かを成し遂げていくという道理と同じになります。


これを心と身体、形と神に当てはめると、

形は神が宿ってから発達を始め、成長する。

卵子に精子が入った途端に細胞分裂を始める理屈と同じです。


鳳凰堂流解釈を入れると、

有は形であり、無は神。形は器であり、神の宿る家。

形(身体)を堤防に譬えると、堤防が決壊すれば本来の働きが失われ、神(心)が散り散りとなり、

形を蝋燭のロウに譬えると、ロウが無くなると火が消えるようなもの。

身体を酷使すれば、精神力が衰え、精神力が極限まで衰えると死ぬ。

草木の根が抜けると、虫が繁殖して食われ、根が青くなると木は根本から枯れる。

身体が老いてきた際に、欲を制御できなければ、精気も霊気も散ってしまうのは自然の道理と同じだと説いています。

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