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鍼灸大成⑦鳳凰堂流解釈


原文
《金蘭循經》,元翰林學士忽泰必列所著,其子光濟銓次。大德癸卯,平江郡文學巖陵邵文龍為之序。首繪臟腑前後二圖,中述手足三陰、三陽走屬,繼取十四經絡流註,各為註釋,列圖于後,傳之北方。自恒山董氏鋟梓吳門,傳者始廣。
 
《濟生拔萃》十九卷,一卷取《針經節要》,二卷集《潔古雲岐針法》、《竇氏流註》,三卷《針經摘英》。首針法以倣古製也。延佑間杜思敬所撰者。
 
《針經指南》,古肥竇漢卿所撰。首標幽賦,次定八穴指法及叶蟄宮圖,頗與《素問》有不合者。
《針灸雜說》,建安竇桂芳類次。取《千金》禁忌人神及離合真邪論,未能曲盡針灸之妙。
 
鳳凰堂流意訳
《金蘭循経》、元翰林学士忽泰必列(フタイビライ)著作。その子である光済が目録を改編。大德癸卯年(1303年)、平江郡文学厳陵の邵文龍が序文を書く。巻頭に臓腑前後二図が描かれ、書中には手足三陰三陽の流注、属が描かれており、これが十四経絡流注として、注釈がつけられている。
 
《済生抜粋》十九巻、延佑年間(1314年~1320年)杜思敬(汾州西河(現在の山西省汾陽市西河郷)の人、字は敬甫、号は宝善老)撰述。一巻は《鍼経節要》からの抜粋。二巻は《潔古雲岐鍼法》、《竇氏流注》から編集、三巻《鍼経摘英》を採録している。鍼法は古流に倣っている。
 
《鍼経指南》(1295年)金代古肥の竇漢卿(竇黙)の撰述。初めに標幽賦、次に八穴指法及び葉蟄宮図を定めたが、《素問》と整合性がない部分が多い。
 
《鍼灸雑説》建安の人である竇桂芳[1]が分類整理したもの。《千金方》の禁忌人神および離合真邪論から引用しているが、鍼灸の妙は語り尽くせていない。

[1] 元代の鍼灸医家。建安(現在の福建省)の人。《鍼灸四書》、つまり《子午流注鍼経》、《灸膏肓腧穴》、《黄帝明堂灸経》、《鍼灸指南》を著述。他に《鍼灸雑説》がある。

鳳凰堂流解釈
上記典籍も鳳凰堂はまだしっかりと読めていません。

プライオリティ(優先順位)としては低い方なので、今後も熟読する可能性は低いですが、

竇漢卿、竇桂芳に関しては、独自性のある論を展開していると言う上記の解説を読んで、興味が沸いてはいます。

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