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あらためて「紙のノート」っていいよねという話

自分はつくづくアナログ派だなぁと思う。

先日、税金について調べることがあり、インターネットを使って調べた。

しかし、全然頭に入ってこない。

結局どうしたかというと、ネットで学んだことを紙に書いて、自分なりに情報を整理することでやっと理解できた(たぶん)。

思えば、ぼくが高校生の時は、スマホもタブレットもない時代。

身近なパソコンといえば学校の教室に一台置いてあるぐらい。

個人でパソコンを持っている同級生も、知っている限りではいなかった。

義務教育でタブレットを使っている世代は、デジタルで学んだ情報でも、きちんとあたまに入るのだろうか気になる。

もしもそうならば、とても羨ましい!

たいていの情報はネットに落ちているにも関わらず、頭になかなか入ってこないのはストレスだし、理解のためにわざわざ印刷するのも面倒だからだ。

アナログで学ぶほうがより理解が進むのは、いま学んでいるプログラミングについても同様だ。

プログラミングに必要な情報は、ネットでほとんど手に入るにもかかわらず、本のほうが明らかに脳への吸収率がいい。

それは、本の出版には編集や校正というチェックを経ているので、情報が吟味、整理されており、わかりやすさでは本のほうがインターネットよりも優っている(難解な本は別だが)という理由もあるが、物理的に紙に印刷されていることに意味がある。

最近はデジタルで学ぶことをあきらめて、上述したとおり、インターネットで仕入れた情報も、理解が難しければ、一度紙に書きだしてみるということをおこなっている。

なので、以前よりも紙のノートをよく使うようになった。

紙のノートは最高だ。

安いし、どこでも手に入る。

そして手軽で、持ち運びにも困らない。

ページを開くだけですぐに書き始めることができる。

しかも日本で売られているノートは、品質的にも最高だと思う。 

そしてなによりもいいのが、紙に考えを書くと「思考が深まる」こと。

普段ぼくは、ノートを書いていないとき、「考えている」といっても、ほとんどがボーっとしているか、考えたいテーマとは別のものが連想的にどんどん浮かんでしまう。

ノートを書くことによって、自分を客観視することになり、テーマに自分をとどめておくのに役立つ。

なおかつ、ノートに書くという行為は、思考のギアを下げ、馬力を上げることができるので、考えたいテーマを深める効果がある。

TAKE NOTES!――メモで、あなただけのアウトプットが自然にできるようになる』に、天才物理学者・ファインマンの逸話が載っているので、以下に引用する。

「書かないかぎり体系的に考えることはできない」
ほとんどの人はいまだに、思考を頭の中でするものと考え、完成した思考を紙に書くのがペンの唯一の役割だと思っています。
ある日、リチャード・ファインマンの研究室を、ある歴史家がインタビューに訪れました。ファインマンのノートを見つけたとき、この歴史家は「ファインマンさんのすばらしい思考の記録」を目にすることができて光栄です、と言いました。
「いえいえ」ファインマンは反論しました。「それは思考プロセスの記録ではありません。思考プロセスそのものです。私は紙の上で実際の仕事をしたのです。

紙に書かれたものは「思考の記録」ではなく、「思考のプロセス」そのものという指摘がおもしろい。

この「ノートに書くという行為の捉え方」の違いはとても大切だ。

アイデアを考えるときに手が止まったまま、頭の中だけで考えるという行為は、上記のファインマンに言わせれば、考えていることにならないと言える。

もっとシンプルにいうと、「ノートに書くこと=考えること」ということになる。

考えるとは、頭の中でやる作業でなく、紙の上で、ペンを走らせる作業。

インクやエンピツ、そしてノートの消費量が「思考の量」といえそうだ。

持ち運び用には、少し安いモレスキンのような「アマゾンのノート」。

家では、100ページと大ボリュームでひたすら書き込める「コクヨ キャンパスノート B5」を使っている。


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