認知症のばあちゃんとの共通点に焦ったはなし。
うちのばあちゃんはもうすぐ90になる。
そんなばあちゃんと私の共通点を見つけて、それを客観的に見た時のヤバさに気付いてしまったはなし。
ばあちゃんは、じいちゃんが死んでから20年くらい、ずっと田舎で独り暮らしをしている。
自分でご飯を炊いて食べることはできるし、杖を使って散歩して、たまに畑の草刈りもしてる元気なばあちゃん。
ただやっぱり、年々認知症が進んできているし、身体の衰えもある。だから今日みたいに家族でばあちゃんの家に行った時は家事を家族で行う。ばあちゃんがキツくてできないような掃除なんかも、家に行った時にやってしまう。
でも、ばあちゃんはそれを止めようとするのだ。それも必死に。
親なんかはそれに慣れているのか、「いいから、大丈夫だからばあちゃんはそこで休んでて」と言い続ける。私なんかも同じ様に言う。
でも今日、障子紙の張り替えをやっていたら、いつものようにばあちゃんが止めに来たので、宥めながら
「なんで嫌なの? 綺麗になるし、ばあちゃん楽になるでしょう」
……どストレートに聞いてみた。
そうしたらばあちゃんが答えたのだ。
「だってそれは私のワガママでしょう、私がやらなきゃいけないのに」と。
衝撃だった。
私、職場で同じ事を言ったことがある。
要するに、自分の持ち場である我が家に対して責任を感じているのだ。そして、責任があるからこそ、自分で判断したいという気持ちもあると思う。
だからこそ勝手にやられるのも嫌だし、誰かがやる事が申し訳なくて嫌になる。ばあちゃんはそれで止めて欲しいと言っていたわけだ。
ただ私は止めようとするばあちゃんに対して、正直面倒だと思っていた(ばあちゃんごめんね)。だって何度もくるし、一度その話を始めると作業が進まないし。
とりあえずその時は、ばあちゃんに
「こういうのは出来る人に頼っちゃっていいんだよ。しかもこれ好きでやってるから、全然ばあちゃんのワガママじゃない」
と言った。
自分にも向けて、言った。
こういう考えを持っていると、周囲に気付かれないところで日に日にストレスが溜まっていく。しかもその捌け口がよくわからないし、そんな考えを伝えるのも気が引けて、伝えられない。周囲も気付かない。そんなスパイラルに落ちる。
ばあちゃんの家に3〜4日くらいいると、最終日近くに突然ばあちゃんのストレスが爆発して、夜中に大声を出す事がある。それは認知症にもなり始めたばあちゃんの、必死のストレス発散なんだと思う。
私だって、ストレスが溜まり続けた結果が今の休職です。爆発に変わりはない。
仕事をしていた頃、上司に何度も「もっとアピールして、周りを頼らなくちゃ」と言われてきた。それでも私は上手くできなかった。もう人に頼るのは無理なのかなとさえ思った。誰も困らないように、自分で出来るように頑張らなくちゃ。そんな感じに考えていて。
でも、そう考えていた結果が、ばあちゃんのような行動になってくるわけなんだなあ。
先程も言ったが、そんなばあちゃんが正直面倒くさかった(ばあちゃんホントごめんね)。
仕事での周囲の人も、私に対してそう思ってただろうなあ。
人を頼ろうとせずに抱え込んでしまうタイプの人を、こんなに客観的に見たことはなかったので、個人的には衝撃だった。
ばあちゃんの場合は、じいちゃんと暮らしてきたこの家を20年も守り続けてきたわけだから、気持ちに身体が追いつかない今仕方がないことだと思う。
ただ、「ひとりで抱え込むことのデメリット」を痛感した20代の私が、90になるばあちゃんと同じ考え方で外に出ていいものなのか。
「もう性格だから仕方ないよね諦めよう」と思っていた私だが、せめても人に頼れるようになる努力はしていこうと心に誓ったのだった。
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