DX戦記~手段の目的化の罠~
手段の目的化はデジタル版ゴミプロセスを生み出す原因の一つ
手段の目的化というのは誰にでも起きうる罠です。この罠にはまると、デジタル版ゴミプロセスを作ってしまいます。
ゴミプロセスについては以前、別シリーズで書きました。
手段の目的化は、なんで起きてしまうのか?
手段の目的化の原因は、これまでやってきたことが正しいと思い込んでしまうという人間の宿命にあります。
これは多分、生物として、あまりランダムに動くと生存確率が下がるという種の保護的な本能レベルでプログラムされている宿命です。
とはいえ、今は、少なくともビジネスに関してはそんなことを言ってられません。
手段が目的化しても気づかない、やっかいな「お気持ち」
「それが当たり前」になってしまっていて、大なり小なり非論理的な抵抗感が生じる事、私は、これを「お気持ち」と呼んでいます。
論理的には正解なのに、なんとなく「いやいや、これはやっぱり意義があって」とついつい思ってしまうのは、もう「お気持ち」としか表現できませんので。
「お気持ち」の例
以下の<問い>と<回答>を見てみましょう。
これを読んで、アレっと思った人は、それが「お気持ちです」。
(「そのとおり」と思う人も多いかも?良い例えが思いつかずスミマセン)
そもそも、エスカレーターの設置目的は、施設利用者の負担を減らす、安全に円滑に利用者を輸送する事です。歩行をアクセラレーションする、という利用方法は設計にありません(日本エスカレーター協会曰く)。
そこから論理的に考えると、大都市の駅のように、大量に急ぐ人を輸送する場に、エスカレーターは向いていません。啓発活動までして、手段を温存しようとする事は理解できません。
ちなみに、小売店などは購買させることが目的なので、各階に客を輸送する手段として、エスカレーターはとても相性が良いと言えます。
仕事でも、こういうことは散見されます。
ハンコの画像を、手間をかけてExcelに張り付ける
⇒意味がない。画像以外のタイムスタンプ、履歴などの方が意味がある。暗号化Zipファイルをメール添付、後でパスワードをメールで送る
⇒メリットよりデメリットが大きいマズい手段。偉い人の会議のために大量の紙を印刷する
⇒紙は利便性でデジタルに劣るので、会議の効率を下げているだけ偉い人のためにビジネスチャットを使わずメールでやり取りする
⇒全体のコミュニケーション効率を下げているだけ
「お気持ち」を排して、デジタル版ゴミプロセスを排除するには
大都市の駅からエスカレーターを撤去したら、から始めると
階段が登るのが辛くて困る人(私もそうです)を安全に、人手をかけずに輸送するという目的が出てきます。
その答えは「エレベーター」です。エスカレーターも部分的な解になるかもしれませんが、輸送対象の包括性・安全性から言うと、エレベーターが正解でしょう。はっきりと明確な目的があれば、適切は手段に行き当たるわけです。
まぁ、もっと言えば、手段の選択肢には「フラットにする」とかいろいろとあるのですが、現代の科学技術、土地の事情などから経済的合理性の低い手段になってしまったりするので…
目的を明確に、そして固執して空気を読まない
もう、漫画『ドリフターズ』の源義経のように「この方が目的が果たせるんだから、別に手段なんてどうでもいいでしょ」というメンタルで当たるしかありません。
まぁ、反感も買うでしょうが、ちゃんと目的に沿って、今より良い結果を生み出す手段というのは、最初は抵抗されますが、やってるうちに受け入れてもらえると思います。
(おまけ)目的が異なるという罠
このような、自分の中や、他人の「お気持ち」と戦っているとき、どうしてもピースが合わない事があります。その時は、推理小説よろしく「なんの目的であれば、これは合理的なのだろうか」と視点を変えて探っていく事が必要になります。
たとえば、経済的効果を目的と考えると、一見、意味の無さそうな政策などは、どう考えても手段として意味が分からない場合、「特定のターゲットの支持率を上げる」等に視点を変えると、とても合理的な手段と評価できる場合があります。
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