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DX戦記9~あきらめを捨てて、逃げる


どうでもよい序文:学習性無力感のある社会

ちょっと前に見た動画の中で、ちょっと心に残っているのが「オワコン化した老人が権力を持っているのを諦めている社会」(意訳)という発言があって、まさにそうだなぁと思う今日この頃です。

”逃走”が必要

革新を短期間に繰り返さねばならない「呪縛」を背負った我々

まぁ、ちょっと前の連載で「XありのDX」(DXという単語も違和感しかないですが)じゃなきゃ意味がないというか、情報技術がこんなに早く進展する世界の中で「変革レベルの環境変化」が数年単位で訪れている、というのはさすがに否定する人はいないと思います。

ですが、冒頭に述べた通りビジネスをやっていると、組織というのは社会的価値を生み出すかどうかというより、内部の政治闘争における優位性がものをいうケースがあります。

これは、人的資源の活用という面でみると、1700年代頃までの「ゆるやかな変革の時代」であれば、むしろ必要なことでした。おおむね7世代くらいは技術的にほとんど変わらない生活を繰り返していられたわけです。そんな中で、下手に革新性を追求する方がリスクが高く、むしろ保守的に集団の凝集性を高めていった方が優位性を得られたわけです。

地球上で2億年生き延びて、我が世の春を謳歌している哺乳類の優位性の源なのかもしれません。

ですが、500万年前あたりに、突如として脳が膨れ上がり、そして6000年前に文字を発明したあたりで明確に「情報技術によって革新を繰り返し、そしてそのスピードは速まるばかりという呪い」を受けてしまったのでしょう。

情報技術がいかに革新の中核にあるかというのは、楔形文字と粘土板がサルゴン王による地域経営を、製紙法がチンギス・ハーンによる世界経営を、そして電信が”盤石なる(*)”日の沈まない帝国経営を可能としたことから明らかです。

(*)盤石なる”日の沈まない帝国”・・・じゃあ、盤石ではない日の沈まない帝国は何かといえばスペイン帝国。異論は認めます。ナポレオンの登場がなければ今だにあったかもしれないので。とはいえ、電信の無いころの世界帝国経営って多分、現代人の感覚と全く異なりそう。なんやかや地続きローマ帝国やモンゴル帝国だって、軍閥の独立は避けられなかった。今の感覚の領土経営って電信ができてからだと思ってる(セシル・ローズが象徴的)。

この「X(革新)の呪縛」が故に、X抜きの日本の多くの組織はオワコン化する

かの経済という側面でも大国アメリカの学者の1980年代頃の経営やマーケティングの研究を見ると「いかに日本が革新的か」ということが論点でした。これらの研究を紐解けば、当時の情報技術を駆使し「Xの呪縛によって、Xしないアメリカの企業を、次々と打ち取っていく日本企業」という、この時代を知らない日本人には信じられない様相が描かれています

今は全然逆です、おそらく賞賛されていた瞬間で留まる企業が多く「Xしない日本企業」が多すぎます。失われたウン十年とか言いますが、失ったんじゃない、停滞していたんだ、停滞が都合の良いビジネスモデルを目論んだ人たちの誘導によって。つまり、オワコン化している。

オワコン化した組織の中で、選べる有力な選択肢は「逃亡」

そして、残念ながらオワコン化した組織で上昇できるのは、オワコン化した人たちという現実があります。オワコン化することで停滞を招き、Xの代わりに権力闘争で成功体験を積んだ人に、どう働きかけても変わりようがないので、彼らをどうこうするのは無理でしょう。

オワコン化した人たちに対して、誠実さでもって「Xの呪縛に立ち戻れ」と働きかけたって、変わりようがありません。じゃなきゃオワコンになっていないわけです。そんなところで頑張れば頑張るほど、学習性無力感に陥ることになります。

学習性無力感にとらわれる前に取れる選択肢は「逃走」です。それしかない。

「逃走」という言葉の響きがよくなければ「戦術撤退」でもよろしい。

そして「Xの呪縛を背負う組織」に合流するしか、ない。

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