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『花束を編む | making a bouquet』Laura day romance

「お花ってね、ひとの悲しみとか、寂しさとか、そういう心の暗がりを吸い取ってくれるから、枯れちゃうんだって」
 美鈴はヘッドボードに寄りかかり、カーテンが閉じられた出窓に飾られているピンク色のチューリップをみながら、ゆっくりと呟いた。

 陽は彼女の横顔を観ながらその小さな唇から発された言葉の意味と温度を正確に感じ取ろうと、呟きの後の静寂までをしっかりと聴きとり、
「優しいんだね」
 と、チューリップに視線を移し答えた。

 先月、美鈴のおじいさんが病気で亡くなった。すこし変わった優しいひとだった。
 おじいさんが亡くなってからのこの一ヶ月、美鈴はほとんどの時間を、おじいさんの日記を読んで過ごしている。遺品整理の際に本棚に紛れていたのを見つけてこっそり持ち帰ってきたそうだ。

 美鈴とは、陽のやっているバンドのライブで知り合った。小さなステージからはフロア全体が見渡せて観客ひとりひとりの顔が見えた。観客といっても殆どが知り合いの知り合いで顔見知りだ。その中に服装も髪型も派手では無いのになにか目立つ女性がいた。それが美鈴だった。
 終演後に見かけて思わず、
「うさぎっぽいって言われません?」
 と声をかけた。何の心の準備もしてなかったうえに初対面の人に自ら声をかける事がない陽はなんて声をかければ良いのか分からず、出てきた言葉がこれだった。びっくりした様子で固まっている美鈴を見て、失敗した、と思った。普通にありがとうございますとでも言えばよかった。早くもそう後悔していたが、
「卯年だからかな」
 と微笑んで答えてくれたのでほっとした。それが二人の最初の会話だった。美鈴はメンバーの友人で、誘われてライブを観に来ていたらしい。
 溌溂という言葉は似合わないが、妙な明るい空気に包まれているひとだ、と思った。そう思っている隙に、大きな目を伏せて笑う顔や、心地の良い鈴のような声がいつの間にか陽の胸に焼き付いていた。聞きそびれた連絡先を後日メンバーに教えてもらい、すぐに食事に誘った。

 美鈴はすこし変わっていた。ひどい偏食でフルーツばかりを食べるし、肩甲骨の匂いを嗅ぎたがるし、子守唄にビートルズの『The End』をうたってと言うし、太腿の付け根にうさぎのしっぽのタトゥーがある。
 うさぎのしっぽ。つまり丸いふわふわ。初めてそれをみた時はまずそれが何なのかが分からなかった。美鈴に聞いたら、
「これがわたしのうさぎちゃんなの」
 と言っていた。なんで尻尾だけなのかも聞きたかったのだが、なんとなくそれで納得してしまった。

 陽は美鈴が読んでいるその日記にふと視線をやると、そこには見覚えのある丸いふわふわがあった。
「うさぎ」
 思わず呟いた。ほとんどの人はこの落書きを見ても、きっとこれがうさぎとは分からないだろう。でも、陽にはこれが何だか直ぐに分かった。彼女の太腿の付け根にあるのと同じ、丸いふわふわ。

「ちいさい頃にね、おじいちゃんにうさぎを描いてって頼んだの。」
 美鈴は懐かしそうに微笑んだ。
「そうしたら、このふわふわを描いてね。ふつう耳がひょこひょこってふたつ並んだ頭を描くでしょう?なあにこれ、って聞いたらしっぽが一番可愛いんだよ、って言うの。変なのって思ったけど、でも確かにこの丸いふわふわ、可愛いのよね。なんだか優しくて、安心で。おじいちゃんみたいだなあ、って思ったの。それでそれから私のおまもり。」
 と、教えてくれた。彼女のやわらかな記憶に触れ、しっぽの謎が解けた。彼女の太腿のおまもりを撫でながら、安心な気持ちで眠りに落ちた。



 翌朝、陽が目を覚ますと出窓に飾られたチューリップが枯れていた。レースカーテンの隙間から差し込んだ日を浴びて、生き生きと枯れていた。その姿を見て、すうっと涙がこぼれた。こんな生き方をしたい、と思った。誰かの為に自身を削る生き方では決してなく、誰かを思って行動する事が自身の喜びとなるような生き方を。花のような愛を持った生き方を。

 隣で規則正しい静かな寝息を立てて眠っている美鈴は今、どんな夢を見ているのだろう。綺麗で清潔な寝顔。まだ眠気が残る頭でぼんやりと、酷くしあわせな夢を見ていてほしい、と願った。寝ているときも、起きているときも、できるだけ多くしあわせでいて欲しい。美鈴のやわらかな長い髪を撫でながら、そう願った。

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